きういノート

一打粉砕に怒喝の心力を込め、万物を叩き割る剛剣の刃を生み出さん

国立西洋美術館に行ってきた

家でずっとダラダラしてるのも退屈だな~と思い、どっか行くか~ってノリで国立西洋美術館に行ってきた。丁度リリスクのライブも上野であったので一石二鳥なんすよね。

企画展示でミケランジェロ展が催されてたけど、美術館自体に立ち寄ったのが初めてだったので、常設展示だけ見ることにした。チケット売り場に行って学生証を見せたら、ウチの大学の生徒はタダで入れるっぽくて『アドやん』と思いながら内部に潜入。

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タイトルが思い付かねぇ

バトルスピリッツ ブレイヴ、全50話を見届けた。そりゃもう、めちゃくちゃ面白い作品だった。はてブー!の下書きに少しだけ感想を書いていたけど、自分の書いた文章を読みながら、『俺は画面の前でもっと熱狂してた』とか、『もっと俺はこの作品からボロクソに衝撃を受けてた』と思って。どこか自分の文章や魂が作品から1歩引いたところにある感じがして。嫌になって、下書きを全部消して、こんな変哲な感情をいま綴っている。

書ける時は書けるんだよな、何故か。自分の書いた文を読み返してたまに泣いたりするし。そういう文章に限ってパパっと、すらすら筆が走る。特に、人の生の感情に触れられるライブの後とかは、文字綴りてぇ~って衝動にいつも駆られる。

最近は自分が読んでて面白くねぇ文章も、『折角、自分の中に芽生えた感情だから』って理由で表(ブログ)に出すことがあるけど、辞めようと思う。てか、Twitterをもっとそういう感情の捌け口として使うべきなんだよな。先月とかにめっちゃブを更新して、半ば中毒みたいになってるのかもしれない。どこまでも衝動に素直で居たいな~と思ったので、ここらでもう一度ラブライブ!サンシャイン!!1期13話でも見直そうかな。

 

自分と他人の境界

自分の考えとか自分はこう思うとか、よく言ってしまうけど、果たして自分の言う"自分"の中には本当に自分があるのだろうか。

生まれた時から周りには他人が溢れていて、周りの環境にどうしようもなく影響されながら自我が形成されていく。どんな人間になりたいのか、そこに自由は、選択肢はあったのだろうか、多分無かったと思う。もしあったとしても、僕は自分自身がその選択をしていたという自覚が全く無い。物心付いた時から15年ほど、そんな生き方をしていたと思う。今でもその生き方は変わっていない、ただ周りの環境や周囲の人間を自分で取捨選択できるようになったことだけが、昔との違いかもしれない。他人の言葉とか考えに触れて『良い』と思ったものが、自分の一部分になっていく。自分が"自分"だと思っていた部分は、よーく見つめてみると他人の一部が寄せ集ったものだったりするのかもしれない。

でも、それはそれで凄く素敵だなと思うのも事実だ。1人の人間の背後に、生まれ育った環境、関わってきた人が居る。背後にあるものはハッキリとは認識出来ないけど、何とな~くその人の文面や行動からぼや~っと感じ取れる気がする。だから僕は人の頭の中が曝け出たような文章が好きなのかもしれない。

一方で、これは心の話。Aqoursの3rdライブで『4thライブが東京ドームで行われる』と発表があった時、嬉しい気持ちが湧き上がると共に、自分がとても誇らしい気持ちになった事を強く覚えている。別に僕が凄い訳ではない事を頭では理解している筈なんだけど、でも何故か誇らしくなってしまう。自分はただの享受される側の一人というだけなのに誇らしくなるのって、普通に考えるとおかしな話だと思う。多分、自分と他人を同一視してしまってるのかな。人と人の間には物理的な距離があって、頭では自分と他人を区別して考えられる。だけど、心の奥底の精神的な部分では、自分と他人の間にハッキリとした境界線は引けないのかもしれない。

結局、他人の一部の集合体を"自分"と僕は呼んでいるに過ぎない。たとえ、自分が周りの環境や他人の一部によって造り上げられた存在だとしても、それは唯一無二で再現性の無いものだから、辛うじて"自分"と呼べているのだろう。

自分の中に居続ける他人から目を逸らすことは出来るけど、自分がさも誰からも影響を受けていない風な振る舞いはしたくない。自分の考えが常に他人から影響を受けている事に、僕はずっと自覚的でありたい。

 

…………という話をはねバド!を読んでからずっと考えていました。

テストぉゎ即アニメ見マン

テストが終わったから何かアニメ見てぇな~と思い、バトスピ少年激覇ダンをこの2日を使って見た。4クールあるアニメを一気見したのは多分、2年前くらいに遊戯王ZEXALを1週間くらいかけて見まくった時以来かな……。

画面に『うおぉぉぉぉぉおおおおお!!!!』って吸い込まれるようなアニメじゃなかったけど、中々面白かった。間違った世界を救う為に主人公は戦うけど、間違ってる世界は間違ってるなりに回ってて、その世界で平穏に暮らしてる人も居る。その人の平穏を壊してまで世界を変える必要があるのだろうか……って考えさせられた。間違ってることは間違ってるからぶっ壊すってダンの考え方は正しいのかもしれないけど、難しいな~って思った。この辺の不完全燃焼感がブレイヴで払拭されたら良いな~と密かに期待しておく。

昨日12~13時間くらい画面を見っぱなしだったのは流石に疲れたので、ブレイヴはゆっくり見進めようと思う。一度にインプットしすぎると消化不良を起こしそうだし、通年アニメはやっぱり週に1話ずつ見ていくのが今の僕には丁度良いのかもしれない。

 

研ぎ澄ませ心

何かを楽しむ為には、武器が必要だと思うことが多々ある。例えば、数学の問題を解くのには公式を覚えていることが前提であるし、スポーツでの真剣勝負を楽しむには、何よりも実力が必要不可欠だ。

趣味でもそうだと思う。最初は誰しもが「純粋な心」という最強の武器を持っている。でも、それは日に日に汚れていく。舌が肥える。切れ味は落ちる。刃こぼれを起こした武器では、目の前の対象は楽しめない。

だから、必死になって武器を研ぐ。色んな物を楽しむ為に、また自分の好きな物について更に深く切り込んでいく為に。

鋭い切れ味を保つにはどうすれば良いのだろう。何をするのが正解なのだろう。分からない。けど、僕は新鮮な事に触れて、それを自分の中で消化して、その過程で感覚が研ぎ澄まされると信じてる。感性という名の武器だけは、いつまでも鋭利でありたい。

 

な~~~~~んて、漠然と思っていた事を文に起こしてみる。因みに、明日はテストだ。