ギャン・バギャム・ソルドン

一打粉砕に怒喝の心力を込め、万物を叩き割る剛剣の刃を生み出さん

アイドルの話をする

あるグループは東京ドームを通過点にしていく一方で、あるグループは大多数の人に目向きもされずに解散する。お披露目の段階で沢山の人に注目されているグループもあれば、何年も活動していたって知名度の上がらないグループもいる。恐らく、これから僕の身近で起こるであろう話だ。こんな事を体験していると、アイドルが売れるとは一体どういう事なんだろうと思う時がある。

5万人の観客を魅了するグループが居る、1万人の観客を魅了するグループが居る、100人の観客を魅了するグループが居る。そのグループごとのアイドルとしての力に決定的な差があるとは、僕にはどうしても思えない。顔が可愛い、歌が上手い、ダンスが上手い…けど、売れない。そういう人達は沢山いたと思うし、自分も少しだけ見てきた。

頑張ってないアイドルは居ないとは言わない。自分が頑張ってもどうにもならないと悟ってしまうアイドルは恐らく少なくないし、アイドルになる気はなかったけど、事務所の都合でアイドルになった人も居る。けど、やっぱり大多数のアイドルは与えられたステージの上で精一杯やってるように見える。精一杯やってるアイドルも、多分沢山いる。

ライブというのは、どうしてもアイドルの力だけでは作れない訳だ。与えられたステージを完璧にこなすのがアイドルの仕事とするならば、そのアイドルにステージを与える仕事をしている人が数いる筈だ。勿論、その部分にもアイドルが介入できる場合は多いのだが。アイドルは、その与えられたステージの上でしか戦えない。

だから僕は、そのアイドルにステージを与える仕事が何よりも重要だと思ってるのかもしれない。お金のあるグループ程、そこで自由な選択*1が出来る。アイドルの必死な姿を見せたい、可愛い姿を見せたい、聞き惚れるような歌、見惚れてしまう程のダンスを届けたい、またはその全部。人がアイドルにステージを与える理由は様々だ。

ステージの上に立ってる人を好きになる事は当然ある。そこが入口になる場合も勿論ある。あるけど、そのアイドルを通して、何を見せたいのか、アイドルのどこを見せたいのか。そこを汲み取れて、好きになれるグループのことを、僕は本当の意味で好きになれるのかなぁと、ふと思いました。

ちょっと乱雑な文だったかなぁ。まぁこれは独り言だから、許してにゃ~ん。

*1:マーケティングだって、メディアへの露出だって出来る。本当にこれは侮れない。

虹ヶ咲学園のミニライブと双眼鏡

Aqoursの2ndライブの時に双眼鏡を会場に持って行ったんですけど、メットライフドームだと双眼鏡を通して見てさえも、満足のいく大きさにならなかったので5秒でバッグに放り投げたし、3rdライブの時も持って行ったけど、1曲目のみら僕を聞いた瞬間に『心に刻め』という感情が爆発して2秒でバッグの中に投げ捨てました。

11月10日。虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会のミニライブを見に行く際に、3度目の正直みたいなノリで双眼鏡を鞄に入れた訳だけど、いや本当にこれが無かったら今頃どうなっていたか分からない。

観覧エリアの中腹辺りでオタクと至近距離でライブを見るのはやっぱり嫌いというのもあるし、単純に早く行って待つのは面倒なので、観覧エリアの最後方から見るという選択肢を最初から取ろうと思ってた。曲を聞きに行くと言うよりは、虹ヶ咲学園のキャストが自分の生きている世界に存在している事を確認する為に足を運んでた部分が大きいし、顔が見たい!って気持ちが強かったのもある。じゃあ双眼鏡は必要だよなと。

ミニライブ開始。5分ほど押して虹ちゃんが登場。【朗報】虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会、実在していた。『みんなおるー!鬼頭明里さんおるー!ともりるおるー!あぐぽんじゃん!!!ヤバ!!!』みたいなテンションだった。そして、よく見える。何もかもが見える。『アハハハハ!!!見える!!!見えるぞ!!!俺に見えない物はねぇ!!!』みたいなテンションだった。周りのオタクを出し抜いて自分だけ楽しんでるの快感すぎる。

自己紹介はAbemaTVとかでやってた、いつも通りのやつでした。声優が9人出てきて、キャラとして自己紹介させるの無限信頼なんすよね…。僕はかすみんとしず子と彼方ちゃんが好きです。虹の9人は実力者揃いだと思ってるんですけど、9人でファンの前に姿を見せるのに慣れてない感じもあって、MCには多少のぎこちなさもあった気がしました。でも、こういう初々しい姿を見るのが僕は大好きだし、この9人が場数を踏むにつれて、より一体となってく様が見てぇな~~~ってめっちゃ思いました。

ライブはTOKIMEKI Runnersをフルで披露してくれました。ヤバ!!!!みんな踊ってるのヤバ!!!!てか、踊ってる時のみんなの笑顔、可愛いすぎワロタァァァァ!!!!!!僕は虹のみんなが踊ってる姿も双眼鏡で見てたんすよね…。特にともりるがヤバかったです…。双眼鏡で見てた都合上、全体のフォーメーションとか、見れてないメンバーも居たんですけど、割と余裕綽々に踊りこなしてたイメージがありましたね。もうね、可愛すぎてアカンよ。もっとじっくり見てぇよ~~~!映像化してほしすぎゆ…。

まぁそんな訳で、使い所をちゃんと選べば双眼鏡は最強って話でした。つまり、双眼鏡をライブに持って行った僕が最強って訳なんですよね(?)

来週の Aqours 4th でも最強になるんで。みんなよろしく。

虹ヶ咲学園のコラボカフェに行ってきた!

拙者、コラボカフェ童貞侍だったんですよ。や、だって売ってる品物とか普通に高いし、カフェに行かなくてもそのコンテンツを楽しむ手段ってのは無数に用意されてる訳で、わざわざコースターお目当てに行かねぇわって感じなんですけど。いま、虹ヶ咲学園を全身で体感出来る場所ってコラボカフェしか無いんだろうな~と思うと、自然と足が向きました。嘘です、虹のキャストさんがコラボカフェでイチャイチャしてるの見て、許せねぇ~~~!俺も行きてぇ~~~~!!!ってなって即予約しました。

てな感じで僕のコラボカフェ童貞は虹ちゃん達に奪われてしまったのです。今回はそのレポートです。

 

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虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会について調べてみた

虹ヶ咲の動画を見るのが、まぁ~~~楽しくて。それで虹のメンバーについて分かったこととか、所感なりを簡単に綴ろうかなと思います。好きな人についての記述があからさまに多くなっちゃうのは、許してにゃ~ん。

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声優に恋したくない。

誰しもの心の中に陣内智則や、にしおかすみこが住み着いてると思うんですけど、最近僕の中に居るその2人が凄くうるさいんですよ。いや、みんなの心の中にも居るよね?

陣内智則『声優にガチ恋すなーーーッ!!!』

にしおかすみこ『最近~、声優に恋しそうになってる奴はぁ…どこのどいつだぁ~い?…お前か?』

僕『あたしだよっ!』

って感じで。俺の中の2人の人格が必死に俺を止めようとしてくる…。恋しちゃいけない事くらい、俺が1番分かってるねん…。いや、暇潰しに虹ヶ咲のAbemaTVのやつ見てたら、目が離せなくなってしまって。これ以上好きになったらアカン…。ガチ恋は身を滅ぼす。届かない人に手を伸ばして、自分を無自覚に傷付けながら、その身を焦がしていく…。気付いた時には、もう自分の心も身体もボロボロになってる…。それが…ガチ恋

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マジか…。いや、『エヘッ』じゃあないねん。(半ギレ)胸が苦しい…。顔が好きすぎる。歳の近い女の子が画面の向こう側でわちゃわちゃしてるだけで、ニチャニチャオタクスマイルが発動してしまう…。自分がそういうのが好きな人間だった事を、嫌でも分からされる。可愛いは絶対、可愛いものには逆らえない。可愛い人が好きだ…。

 

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こういう所も好きだ…。決して収集したキャプを貼りたいだけとか、そういう理由ではないんだ…。信じてくれ…信じてくれ……。11月10日のライブも楽しみだ…。(めっちゃ人が集まって、ロクに見れるかも分からないけどね…。)

 

嫌だ…恋したくない…。これ以上可愛く振る舞うの勘弁して下さい…。僕は虹ヶ咲がアニメ化するまで我慢するんだ…。声優に恋をしたら…。

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何が好きなのか

僕がこういう下らない文章を書いてる時は、決まって暇な時なんですね。まぁ、そんな事はいいとして、今回も例に漏れず暇潰しみたいな感じで書いてます。では本題。

ラブライブの何が好きか?』って言われて、パッと答えを言える人は、そんなに多くないのかな~と思うんですよ。かく言う僕がそっち側の人間ってだけなんですけど。勿論、言える人も一定数は居るとして、置いときます。そんな事考えたことも無いって人も恐らく居ると思いますけど、まぁそれも置いときます。パッと言えない最大の原因って、『ラブライブ』という言葉・概念が指し示してる範囲がとても広いからだと思うんですね。ラブライブと単に言っても、それは無印やサンシャイン、今では虹ヶ咲までを全て含めて捉える事もできるし、展開はキャラクターとキャストの両面で行われている。何だそれ広すぎワロタ。恐らく、広い範囲を指し示す言葉に対して、短い言葉で何が好きなのかを言うのは、結構難しいんじゃないかと思う。

じゃあ、試しに細分化してみますか。と言っても、全部するのは面倒なので、サンシャインの部分だけで細分化してみます。まず『キャラクター』と『キャスト』のコンテンツに大きく分かれて、『キャラクター』の方は、そこから『アニメ』、『漫画』と分かれる。サンシャインのアニメが好きにしても『物語が好き』なのか、使われてる『音楽が好き』なのか、描かれた『キャラクターが好き』なのかでまた違ってくる。そもそも、『推しキャラクターの概念が好き』で、そのキャラが出てくるからこそアニメを見る人だって居ると思う。

一方でキャストの方はまず、『ライブが好きな人』が多いだろう。ファンミや生放送で見せる『トークが好き』な人、そもそも声優をソロで推していて、その一環でサンシャインに触れてる人も居そう。『声優としての在り方が好き』な人も居れば『人が好き』な人も、『顔が好き』な人も居るだろう。『ライブ』と一言に言っても、ライブで見せる『アニメとのシンクロが好き』なのか、生で『曲を聞くのが好き』なのか、曲で『盛り上がるのが好き』なのか、はたまた『ステージの上で彼女たち自身が紡いでいくの物語』が好きな人も居ると思う。スクフェスだってスクコレだってある。多分、これ以外にも僕の知らない好きが沢山あるんじゃないかな。そして、サンシャインだけでこんなにあるんだよなって言う。

こういうラブライブの持つ沢山の要素から、自分の好きな部分なり、合う部分だけを掻い摘んで楽しんでる人が殆どなのかなと思う。事実、僕もそうだし。どの要素がどのくらい好きなのか、人によって千差万別で、だから気の合わない人間が沢山居るのは当たり前なんだよなとも思ったり。

ラブライブが好き』ってだけじゃ、その人の事は何も分からない。だから、僕は『自分が何を好いているのか』については、一応ちゃんと考えるようにはしてる。それはラブライブだけに限った話じゃないけどね。自分は何が好きなのか、相手は何が好きなのか、そこを少しづつ分かっていって初めて、人と近付けるのかな~等と思うきういンゴなのでした。

レヴュースタァライト -The Live-#2 Transition について

10月21日にLVを見に行ったレヴュースタァライト -The LIVE-#2 Transition について、書き残しておきたいと思う。

開幕、いきなり始まる第100回の聖翔祭で演じられたスタァライト。華恋や女神たちの纏う衣装から演目がスタァライトであることは一目瞭然。頭に重たいシルエットの帽子をしてなかったことから、それが第100回の聖翔祭で演じられたものである事がハッキリと分かった。いきなり、やべぇ物をぶち込んできたなと。ラストシーンだけではあったものの、アニメで演じていた演目を、こうして3次元に起こして演じ直す行為には、やはり心が踊る。というのも、僕が Aqours 1st LoveLive! で MIRAI TICKET を見た時の感覚を少しだけ思い出していたのが大きいと思うけど。衣装や舞台セット、キャストの容姿までを限りなくアニメに近付けた上で行われた、2次元の延長線上にあるそれは、まるで現実と虚構が溶け合っていくようだった。境界がどんどん曖昧になっていく感覚は、堪らなく心地いい。

他には、スタァライト九九組のキャラクターの作りが凄く好きだった。舞台#1で描かれた、9人が割と独立してて、ガツガツした強さを持った九九組。アニメで描かれた、キャラの背景、カップリングや和気藹々さを前面に押し出した九九組。この2つが混ざりあった上で生まれた絶妙なキャラ。仲間だと認め合ってはいても、仲良しごっこという感じは全く無くて、甘えた態度は許さない厳しさが残ってたり。カップリングは意識されていたけど、アニメのように強く前には出さずに、色んなキャラ同士の会話が見れたのが良かった。(特に、ひかり×純那 とか見れて良かった)

結局、僕は何が好きなんだろうなと考えると、『アニメで描かれたキャラの背景や変化を踏まえた上で、舞台の上で描写された物』なんだなと思う。自己紹介での純那の台詞が『掴んでみせます、自分星!』になってたり、真矢の台詞は『夢は見るものでなく、見せるもの。』っていうアニメで使われた言葉に変わってて、嬉しかった。あと、ななの『私はもう過去には囚われない!』って台詞も最高にカッコよかった。

でも、多分こういう魅力は舞台レヴュースタァライト#2 の持つ魅力のほんの3割くらい何じゃないかなと個人的に考えている。残りの魅力の3割は『九九組が青嵐の舞台少女との交流(戦い)を通して、因縁に決着を付けたり、更に己を高めた事』で、4割は『生で人の演技・動き・感情を目の当たりにする事』なのかなと思ってる。前者について語るのは、展開の早さと、1回の観劇で得られる情報量じゃ無理だったので『良かった~!』くらいしか言えないし、後者に至ってはLVでは絶対に体験出来ない。(あっ、でも天堂真矢が小春に切れてるのめっちゃ面白かった。)(てか、舞台の天堂真矢は感情をめちゃくちゃ表に出してくるので超好き。)なので、早い話が生で見てぇな~ってことです。

 ところで、レヴュースタァライトって、アニメと舞台が程々に独立しているんですね。雑誌から抜粋すると、

まずプロジェクトのチーム全員で作品の核となる「原案」を作り上げた上で、舞台とアニメ、それぞれのスタッフに委ねたという感じです。

- 2018年10月号のメガミマガジン レヴュースタァライトのプロデューサー 武次さんへのインタビューより抜粋 -

という感じで。でも、完全に独立してる訳じゃなくて、お互いに刺激を与え合ってるのが見て取れるのは熱いんですよ。アニメで監督をしていた古川さんが、舞台を見て『Star Divine をアニメで流したい!』と思った話は知ってる人が多いと思いますが、舞台#2 で華恋の衣装変えバンクが流れた時には、その逆転が起こったと感じました。完全に憶測ですが、舞台作家の方がアニメを見て『これを舞台で流したい!』と思った末に、ああいう演出になったなら、それはとても面白い事だなと思います。

まぁ、そんな訳ですが、僕はやっぱり二層展開に於ける現実と虚構の融和が大好きで、それをどうしても求めてしまう性癖なので、『スタァライトさん、もっとそういう事してくれていいんですよ~~~?』という意味の無い希望をここに残しておきます。スタァライト何だかんだ楽しいので、次のライブもLVがあったら行きたいな~と思ってはいますね。僕は舞台の後のライブパートしか見たことないのですが、スタァライトは舞台としての格式を凄く重んじてるような気がするし、飽くまでもステージに立つ姿は、アイドルではなく舞台少女って感じがひしひしと伝わってくる。(だからMCも無くて、何か発表の際もライブが終わった後なんだろうなって思います。)舞台少女としてライブをする事の強みだったり、また舞台の格式を大切にしているからこそある制約の中で、九九組が何を見せてくれるのか楽しみです。

Aqours 1st LoveLive を見返して

約1年半の時を経て見たそれは、意外とあっさりしていた。数時間あるライブの中の、僅か1~2分間の出来事。当時の自分には、それが5分にも10分にも、永遠にも感じられた。あの時は、目の前で起こっている異常事態に、ただ立ち尽くすしか出来なかったけど。僕は今になってやっと、記憶の中で伝説として肥大化していたそれを、直視できるようになった。

あの出来事に、何故あそこまで心が打ちのめされたのか色々*1と理由がある。そのどれもが納得に値する。でも、それは今だから言える事であって、あの時間、あの場所で僕が感じていた事は多分、そうじゃない。もっと心はぐちゃぐちゃだった。成功した時の感動だけではなかった筈だ。17000人の観衆を前にする重圧、無音のステージに演者が放り出される恐怖や不安、『アイドル』というヴェールが剥がれ落ちた極限状態の人間を目の当たりにする辛さ。僕が感じたのは、その全てが自分の中に一斉に流れ込んでくる感覚だ。とても、受け止めきれない。そして恐らく、こんな体験はもう一生味わえない。だから、こんなに自分の中で大切になってるんだ。

アイドルとは綺麗な存在だ。僕らは、ステージの上で演じられている『アイドルとしての彼女達』を見ることしか出来ない。人間としての綺麗な部分にしか、僕らは触れられない。故に、美しいし憧れる。でも、だからこそ、その演技が崩れ去る瞬間に、僕は惹かれてしまうのかもしれない。あの場面のような、『アイドルとしての自分』を演じる余裕の無い極限状態は、否応なくアイドルを人間にしてしまう。ステージの上で剥き出しになる、アイドルの人間性にこそ、本当の意味で僕の心を動かす力が宿るのだろう。

アイドルの流す涙が好きだ。自分の中で渦を巻いている感情が抑えきれずに、演じていた『アイドルとしての自分』が少しだけ綻ぶ、あの瞬間が。どれだけステージの上のアイドルが、アイドルを演じていようと、涙という生理現象だけは嘘じゃないと、僕は信じていたい。アイドルが胸に秘めている不安を吐露する瞬間が好きだ。人々の理想で作られたアイドルという存在が、時折こちらに見せてくれる弱さが。穢れのない真っ白なアイドルと、それに似つかわしくないグレーな色の感情のギャップが、僕は好きなんだ、多分。

そんな事を思ってました。見て良かった。次はまたお金貯めて、2ndのブルーレイ買おう。

 

kiui-4.hatenablog.jp

*1:『アニメの物語を背負った彼女達が、ステージの上で自分達だけの物語を作った』とか『逢田さんが失敗を通してピアノと向き合う姿が、アニメで描かれた桜内梨子と重なった』とか、そんな感じの事

タジュキョセンセイー!

1. 多重共線性とは

 y = \beta_0 + \beta_1 x_1 + \beta_2 x_2 + ... + \beta_n x_n

上記のような説明変数が2つ以上ある一般線形重回帰モデルを考える。この時、説明変数間に高い正、または負の相関があった場合に偏回帰係数の分散が必要以上に大きくなり、真の偏回帰係数が正しく推定出来なくなっている状態のこと。

 

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映画 若おかみは小学生!の感想

若おかみは小学生!の映画を見てきました。TVアニメの1話は配信で見てたんですけど、全く面白くなかったので最初は映画に興味はありませんでした。でも、TLでの評判を見てたら興味が出てきて。作品の受け手として信頼してる人間がイマイチ煮え切らない感情を吐露してる一方で、「泣いたー!」とか「感動したー!」って感想を持ってる人がFF内外含め多く見られて、これは自分の目で確かめるしかないなと。珍しくワクワクしながら映画館に向かいました。という訳で、少しだけ感想を綴ろうと思います。

端的に言うなら、『胸が痛むアニメ』でした。めっちゃ泣きました。そらもう、目が真っ赤になるくらいには。感動した…と言っていいのかは分からない。と言うか、本当は言いたくない。確かに、心に深く響いたから僕は泣いたのだろうけど、話の重さとかおっこの感じていた辛さを考えると、この映画に向かって素直に『感動した』とか『良かった』って言葉を投げるのがものすごく躊躇われる。そのくらい辛い。映画のクオリティに対して『良かった』って言葉を言うのは理解できるけど、お話に対して『良かった』って言葉を言える人間の気持ちが、僕にはさっぱり分からなかった。

両親を失った少女が、その『死』という現実から目を逸らしながら旅館の手伝いをしてる姿は辛いものがあったし、それによって人の幸せそうな顔を見なければいけないというのは、視聴者としてはかなり辛かった。この映画を見て自分が流した涙の理由の9割は、『辛い』って感情に由来してたと思う。

自分の両親を殺した張本人を目の前にして、憎しみという感情を見せなかったおっこの心は、美しかったかもしれないし、それが美徳として描かれているのも分かる。だけど、誰かを妬ましいと思う気持ちや憎たらしいと思う気持ちは、誰しもの心に自然と芽生えてしまう感情だと僕は思うし、おっこの心にそう言った感情が無い事が、余りに悲しかった。春の屋の温泉は誰も拒まないかもしれないけど、関織子には目の前の人間を拒絶する権利がある筈で。大事なのは、関織子自身がどう思ってるかじゃないのかって思わざるを得なかった。いや、勿論12歳の少女にその権利の行使を選択させるってのも重すぎる話だと思うけどさ。

自分自身が『関織子』である事に『いえ』と応えるシーンも心が痛む。『両親の死』という残酷すぎて受け止めきれない現実から目を逸らし続けた結果、自分が両親の娘であった事すら否定してしまうのかと。その応えはおっこの心が働かせた『自衛』だったとしても、両親と過ごした思い出は胸に沢山あった筈なのに、それを全部引っ括めてまで、自分は両親の娘ではなかったとこの娘は宣うのかと。残酷だった。

最後になるけど、自分には重すぎて辛かったです。結局、おっこがそれで良いのなら、自身の境遇を見つめて幸せだと言えるなら、それが1番なのだろう。そしたら、僕がここに書いてる文章に何の意味もない。でも、12歳の美少女キャラクターに余りに重たい運命を背負わせた人間が、この世界に確かに存在していて。「おっこにとって、これが幸せなのだろう」と2次元の世界の外側から決め付けている大人が絶対に居る。この事実に、受け手である僕の心は少しだけ痛むのでした。キャラクターに人権はない。

 

P.S.

目の前に居たおっこが事故の当事者であるとはそれは思わないだろうけど、自分が両親の命を奪っておきながら、その家族の一人娘が生きていた事を『救い』と言ってしまうおじさんには腹が立ちました。この先1人で生きなきゃならない娘が、どんな気持ちでこの先の人生を過ごしていくのかお前には分かるのかよって怒り。お前にとっては救いだったかもしれないけど、おっこにとってそれは本当に救いだったのか、考えるべきじゃないのかよっていう。僕には難儀な作品でした。