ギャン・バギャム・ソルドン

一打粉砕に怒喝の心力を込め、万物を叩き割る剛剣の刃を生み出さん

他人の気持ちにどれだけ寄り添っていいのか、みたいな

上手く文は纏まらないと思うけど、取り敢えず垂れ流します。

ここ最近TLで色々な事が起きすぎて、訳の分からん精神状態に居ます。たった300人しかフォローしてないTLですけどね。(因みに昨日はまた二日酔いでぶっ倒れてました。)

こう、言葉ってやっぱり難しいなと思う訳です。俺の言いたいことは恐らく上手く伝わらないし、他人の言動を見ても何となく片鱗は掴めそうな気はするけど、結局は分からない。

まぁ、でもこれって当然のことだと思うんすね。気持ちが言葉になって、それが相手の目に触れて、そこから解釈が始まるとすると、その過程で失ったり変わったりするものは沢山あると思う。自分の外に出た言葉は相手の解釈しだいでいくらでも変わってしまう。(これは本当によく思う。)

だから誰も俺のことは理解できないし、俺は他人のことを理解できないと思いながら過ごしてる訳です。

軽率な『分かる。』という言葉にも嫌悪を覚えてしまう。*1他人が理解できない存在だと認識した上で、それでも少しだけ相手に寄り添いたいって気持ちからくる『分かる。』と、相手のことを分かった気になってる奴の口から発せられる『分かる。』には雲泥の差があると俺は思いたい。

TLにライブに行けた人、行けなかった人が居て。ライブ見てほしかったなんてのは純度100%の俺のエゴで。結局俺には何も出来ないし、行けなかった人の気持ちを想像する事すら失礼に当たるのかな…なんて思った。だって俺は行けなかった人の気持ちが分からないし、そもそも寄り添えないし、もっと言うと寄り添う資格すらない。

インターネットを通じて、他人の心の中を少しだけ覗き見出来るようになって、この辺の距離感がおかしくなってる気もする。他人の発した言葉を都合良く解釈して分かった気になっちゃいけないなぁ~…って、そんな独り言です。

*1:勿論、気持ちの強さとか思考の深さで違いが出てくるけど。