ギャン・バギャム・ソルドン

一打粉砕に怒喝の心力を込め、万物を叩き割る剛剣の刃を生み出さん

アニメと舞台の融和について語る

これは、あるフォロワーの方が出した、レヴュースタァライトの舞台評論が主に書かれている同人誌に僕が寄稿させて頂いた文章である。ネットに公開してもいいとの事なので、せっかくだし、ここに置いておく。関係者各位におかれましては、お疲れ様でした。

 

・本文

 『何だこのアニメは…めっちゃ面白ぇ!』というのが、私とレヴュースタァライトの出会いだった。1話から様々な謎を散りばめながらも、決めるところはバチッと決めるアニメに、私は早々に虜になってしまったのだ。カップリングの意識された魅力的なキャラクター達は、萌え豚である私を歓喜させる。それでいて、物語の中盤で明かされた『世界がループしている』という事実は、それまでのアニメの世界観を大きく揺るがし、私に複数回の視聴を促す。また、劇中劇である『スタァライト』と、このアニメ自身である『レヴュースタァライト』を重ねた全体の話の構成は、読解のしがいがあり面白かった。そして何より、その全てをイカした演出とダイナミックな映像で届けたことが、私の胸をガツンと響いた。当然、舞台にも興味を持つようになった。

 そんな背景から、舞台の話になる…訳では無い。唐突であるが、私はラブライブが好きな人間だ。そして、ラブライブのライブの魅力は、しばしば『アニメと現実のシンクロ』だと言われる。アニメのダイジェストを流したり、劇中で行われたライブと全く同じパフォーマンスをキャストが見せる。そうやって、ファンはアニメで語られた物語を1つ1つ、丁寧に追体験していく。私はラブライブのそこに魅せられた人間である。

 前置きが長くなってしまった。舞台の話をしよう。そんな私から見れば、アニメ放映のすぐ後に行われた舞台#2では、そう言った「シンクロ」の部分を過度には意識していなかったと感じられた。勿論、物足りなかった訳では無い。レヴュースタァライトの謳うアニメと舞台の二層展開とはこういう事だと、目の前に突きつけられたような感覚になった。表現の手法が全く違う2つのものが、程々に独立しながら、互いの強みを理解し、その領分を弁えた上で存在している。そこに、私は衝撃と新鮮さを覚えたのだ。

 それでも、やはりレヴュースタァライト2.5次元系の舞台と言うのもあり、アニメを見たからこそ嬉しくなったり、感動したシーンも数あった訳だ。そこには融和があった。それも、ただの融和ではない。舞台とアニメ、互いが寄り掛かることなく自立しているという前提がある上での、舞台の持つ良さを殺さない高度な融和。その融和について、ここで少しだけ語らせてもらいたい。

 1つ目は、舞台#2で描かれた九九組9人のキャラクター作りだ。舞台#1で顕著に描かれた『互いに目をギラつかせながら、ポジション・ゼロに対する執着心を燃やしている、誇りと強さを持ったライバル』というキャラの側面と、アニメで描かれた『和気藹々とした雰囲気の中で、1つの舞台を作り上げようと、全員が同じ方向を向いて切磋琢磨していく仲間』という側面の融和。互いを仲間だと認め合って居るものの、そこに仲良しごっこという雰囲気は無く、仲間だからこそ甘えた態度は許さない厳しさを忘れないでいる。そこが、とても良い…。舞台#1とアニメで描かれたキャラが、バランスよく混ざりあって絶妙なキャラクターとして再生産されていたのが、舞台#2で描かれた九九組の9人だった。

 2つ目は、開幕で行われた第100回聖翔祭で行われたスタァライトの再現だ。アニメの中で実際に行われていた演目を、3次元に起こして演じ直す行為を目の当たりにすると、私の心はどうしても踊ってしまうらしい。何故だかは分からない。衣装や舞台セット、キャストの容姿までを限りなくアニメに近付けた上で行われた、2次元の延長線上にあるそれを見ると、まるで自分がアニメの中の観客になったような気分になり嬉しくなる。そういう、現実と虚構が溶け合っていく感覚に浸るのは、言葉に出来ない心地良さがある。

 3つ目は、舞台少女が口にしていた台詞だ。舞台#2のプレコールは舞台#1のそれとは、違うものだった。純那の台詞が「掴んでみせます、自分星!」になっていたり、真矢のそれは一部が「夢は見るものではなく、見せるもの」に変わっていた。これは、アニメの劇中で舞台少女たちがレヴューに臨む際に口にしていた台詞であり、キャラクターの在り方を的確に表現したものだ。こう言った台詞たちは、舞台を観ている時に、その裏に確かに存在しているアニメの存在をわずかに匂わせる。その台詞が使われていたアニメのシーンがフラッシュバックしてくる瞬間、言い様のない嬉しさに私は包まれるのだ。ななの「私はもう過去に固執したりしない!」という台詞もだ。アニメで描かれた大場ななの過去への固執と、そこからの脱却。それを踏まえた上で、大場なな役の小泉萌香さんの口からこの台詞が飛び出してくる。アニメを通して3ヶ月ないしそれ以上の期間、大場ななというキャラに誰よりも向き合い、寄り添い、その気持を理解してあげようとした小泉さんが口にするからこそ、その台詞には重みや凄みが出るのではないだろうか。そういう、舞台の上にふと現れる、一瞬の重なりに私は胸を打たれるのだった。

 最後になるが、私はこの舞台#2をライブビューイングでしか見ていない人間だ。舞台を生で観劇することの良さについては『迫真の演技・感情に生で触れられる』等、色々考えられる。生でしか感じられないこと、現地でしか体験できないことは沢山あると思う。だが、アニメを見ていたからこそ感じ取れる良さだけは、生で見ようがスクリーン越しに見ようが、居場所に依らず、万人が受け取れるものなのではないのだろうか。家の近くの映画館で、お手頃な値段で見る舞台も中々、乙なものである(という、万年金欠大学生の戯言でした)。