ギャン・バギャム・ソルドン

一打粉砕に怒喝の心力を込め、万物を叩き割る剛剣の刃を生み出さん

劇場版サンシャインについて語る。

映画を見てから約1週間ほど経って、感情の整理もついてきたので、映画の感想について綴ろうと思います。以下、劇場版ラブライブを劇ラ、劇場版サンシャインを劇サと書いています。

劇サは、海外に行ってライブして帰ってきて、答えを見付けて、誰かを巻き込んでライブををして、自分達だけのライブで締める劇ラの構成を踏襲しながらも、劇中で描かれた物語は劇ラとは真逆とも言える作品だったと思う。こうなると、ついつい両者を並べ語りたくなる。

劇ラが「私達が今を精一杯に輝くことが、未来永劫に残っていく」という、未来と今を繋ぐ話をしてたのに対して、劇サは「今まで過ごしてきた時間は消えない。ずっと残ってる」という、過去と今を繋ぐ話をしてる。両者ともブレずに同じ話をしてるとも取れるし、真逆の話をしてるとも取れる。こうして両作品が表裏一体の関係になってるのは面白いと感じるし、何となく劇サって作品そのものが「μ'sの作った未来は本当に輝いてたのか?」って問いに対して「輝いてたよ」と答えてあげる、劇ラに対するアンサーだったとさえ思う。

劇ラでしていた、全国のスクールアイドルを秋葉原に集めてライブをする、お祭り騒ぎのような大きなスケールの話を、劇サはしていなかった。けど、そのスケール感の小ささが、僕にはとてもサンシャインらしいと思えた。地味で普通な規模の話。μ'sのように、神話のような物語はAqoursには紡げない。沼津で、身近な人にスクールアイドルの良さを分かってほしいと願いながら、自分達の手で作ったステージの上で精一杯踊る。劇サの作劇は飽くまでも、人間が全力で頑張れば実現できる領域を出ていなかったと思う。そんなスケールの小さな物語に、僕は親近感を覚えた。

思えば、悩んだ末に答えを出した劇ラとは違い、劇サは最初から胸の中にあった答えに気付く話だった。やはり親近感が湧く。もっと言うと、答えは最初から出ていて、その答えの正しさを信じられるようになる話だった。答えなんて最初から一つしか無くて、そんな事分かってるけど、でもその答えを100%は信じ切れない。千歌たちの抱えている悩みは等身大で、人間臭くて、自分も身に覚えがある。そういう人間臭さに、僕はサンシャインらしさを見出したのかもしれない。

降幡さんがよく、ルビィの成長に置いて行かれそうになるって旨の話をしていたけど、何となく気持ちは分かる。Aqoursラブライブで優勝するという大きな功績を成し遂げたことで、Aqoursが少しだけ僕から遠くに行ってしまったような気になって。でも劇場版を見たら、また彼女たちがとても身近な存在に思えて、それが僕は嬉しかったんだと思う。ラブライブで優勝したとはいえ、新しい学校に足を踏み入れるのは不安だし、中学の時の同級生と話すのでさえも怖い。そういう弱さを垣間見せた描写に、僕はAqoursの人間らしさを見た。

内浦の観光案内所、沼津の仲見世商店街や駅のホームまでもがライブの舞台になっていて。今まで滅多に描かれなかった男性という存在を描くことで、劇中の世界がよりリアルに、現実に近くなる。ノートPCで曲作りをしたり、音響の準備をしたり、ステージを自分の手で作る等。なるべく現実に沿った映像を多用した事や、話のスケールが小さくなった事全部、Aqoursをもっともっと身近な存在だと思わせる為のピースな気がしてならない。Aqoursを今まで以上に身近に感じられるから、何か物語が終わった気がしない。映画を見た後、μ'sとはもう永遠に会えないような気持ちになるけど、Aqoursには沼津に行けば、また会える気がする。

劇ラの、見終わった後に抜け殻になって立ち尽くすしかなくなるような強烈な視聴体験は、劇サには無かったけど、でも劇サには、心の中に風が吹き抜けるような爽快感というか、気持ち良さとか、圧倒的な清々しさがあった。本当に良い意味で終わった気がしない。「今まであった事は全部消えない、胸に残り続ける」って作品のメッセージと、物語がこの先もずっと続いていくような感覚。この2つがバッチリ噛み合ったから、一本の作品としてめっちゃ良かったと僕は感じたのかなと、今になって思った。

2回目見たら色々と変わるかもだけど、今は取り敢えずこんな気持ちでいます。