ギャン・バギャム・ソルドン

一打粉砕に怒喝の心力を込め、万物を叩き割る剛剣の刃を生み出さん

Wake Up,Girls! 新章を見た。

WUG新章、最初は見るつもり無かったですけど、旧章にあるステージの上と下の間にあった生々しい断絶について言及した時に、新章では「WUGがステージの下に降りてくる」という情報を手に入れて、一気に興味を持ちました。やっぱり、的確なネタバレは時に人の心を誘う。その「WUGがステージの下に降りてくる」シーンは、ファンとアイドルの間にある断絶を少しでも和らげたい、と言う思いから来た行動ではなく(少しはあったのかも知れませんが)、音響トラブルに見舞われてマイクが使えなくなった7人の、「客席に生の歌声を届けたい」という願いから来た行動に、僕からは見えました。ですが、結果的にWUG新章の作風そのものが、旧章で語られていた断絶を和らげてくれたような感覚が少しあります。これについては後述します。

新章に興味を持ったは良いけど、色々とネットでは過激な事を言われたりしてて心配だったので、見るか見ないかを判断する為に、まずはYoutubeにあるPVを見ました。これが凄く良くて、2分で視聴決定。心配は完全に杞憂でした。因みに、僕が何で見るか見ないかで迷っているかと言うと、新章がdアニで配信されてないからです。地元のレンタルショップを回っても新章のDVDが何処にも置かれてなかったので、泣く泣くdTVで見ました。初月の無料期間で全部見て即退会するムーヴ、結構やるんですけどオススメ(?)です。

まぁ、御託はこのくらいにします。率直に言って、僕は新章の方が旧章より断然好きでした。そう感じた理由について、簡単に書いていこうと思います。新章と旧章を比較しながら、理由を2つ挙げます。

1つ目は映像です(大雑把ですまん)。旧章の映像はとても写実的で、僕にはそれが良くも悪くも働いている気がします。現実をそのまま切り取ったような絵柄や世界は、旧章の暗く現実的な*1ストーリーとマッチしていました。しかしその反面、どこかキャラクターの動きが人間に近すぎて、躍動感を感じられず、多少の退屈を強いられた感覚があります。これに対して、新章の映像はとてもアニメ的だと感じました。アニメ的と言うのは、「キャラクターの芝居や物の動きが、良い意味でわざとらしい」と解釈してくれるとありがたいです。特に 7 senses のOP映像にはこの特徴が如実に表れていると思います。恐らく、人間はみにゃみの様に派手に転ぶ事は滅多に無いし、よっぴーの様に一瞬でトーストは食べられないと思います。ですが、その小さな嘘がみにゃみの可愛さや、よっびーの早く出掛けたい気持ちをより際立たせている気がします。そういう、現実を少しだけ無視した、動きの躍動感や画面の視聴感を重視してる映像は、見ていてとても楽しいです。この部分が、新章と旧章の大きな違いなのかなと思います。そもそも、監督もとい映像作家が違うので、それはそう!という感じですね。

2つ目は作風です(これまた大雑把ですまん)。先程、旧章のストーリーを「暗い」と表現しましたが、それは旧章の世界の根底に「アイドルとは、傷付き疲弊した心を癒す為に、誰かに消費される存在である」と言うような思想*2が流れていると感じたからです。その思想の末に生み落とされた歌詞が、Beyond the Bottomの「世界中の憎しみを 全部僕が受け止めるから」なのだと、僕は思いました。大人によって作り上げられたアイドルという一面が大きい。これに対して新章の作風は「大人がアイドルを作り上げる」という側面を余り表に出していなかったように見えます。理由としてまず、WUGに仕事を持ってきてくれる人や、楽曲を提供してくれる人の力では無く、メンバーの個性やWUG自身の意思によって、物事が好転する事が多かった点です。各々が得意分野で個性を発揮したり、セトリや歌詞を自分たちで考えたり、そうしてWUG自身の力で前に進む物語なのが、僕は好きでした。更に、新章の世界は「アイドルで居るという事は、自分らしく振る舞う事だ」という前提の下で、話が作られていると感じました。僕らはステージの下からアイドルを見ることしか出来ないし、その人が本当にその人らしく振る舞っているのか、僕らには正直分かりません。その事実がある上で、ステージの上の7人は他の誰かを演じている訳でも無く、その人らしく振る舞っていると思える事は嬉しいし、生々しさを孕んだ断絶はあたかも無いように見える。このくらい夢を感じられる物語・作風の方が、僕は好きでした。

新章、見てよかったです。と言うか、途中で挟まれていた「わぐばん新章」が面白かったので、色々と調べてみます。よ~し、次はライブの円盤を見るわよ!

*1:アイドルとファンの間にある確かな断絶がある事実。人と人は簡単に分かり合えず、本気でぶつかるまでお互いの事が見えてこない事実。アイドルにとって、プロデューサーや作曲家は絶対的な存在である事実。の3つが描かれている点が根拠です。

*2:白木さんがアイドルの祭典の開会式で、9.11について言及したシーンから、特に強くこの思想を感じます。