ワテクシ、先日初めて沼津を来訪してきました。
旅行記を書こうとも思いましたが、地元を始発で出てガタンゴトン…と3時間も電車に揺られて……なんて話をしてもクッッッソつまらないので全部割愛します。
自分、沼津を訪れて少し思ったことがあるんです。大それた事ではないですが、それをここに記しておこうかなと思った次第であります。
本題に入る前に前置きを少々、、、
ラブライブ!サンシャイン!!に於いて道路標識や信号等の交通を司る物体は画面の中に暗に何かを示すように映っている、という事は僕の中でとても有名です。
例えば、、、
赤信号は不安を
青信号は迷いが晴れることを
一歩通行はもう進むしかない、物語が上手くいく事を暗示していると、僕は考えていました。
確信なんて全く無いんですけどね(笑)
では、前置きはこのくらいにして本題へ入ります。
突然ですが、皆さんは上の写真2枚を見比べて何を思い浮かべるでしょうか…?
『5話で千歌が善子に羽を返した場所だな。』
と考えるかと思います。
ここで皆さん、後ろの家の塀の模様を見て下さい。
『羽』の形をしていると思いませんか…?
僕は考えました、"これは流石に偶然としては出来すぎていないか…?" と。
ここで僕の中にある仮説が生まれました。
『製作者の方々は沼津を隅々まで周り、その結果千歌が善子に羽を返す場所として最も相応しい場所にここを選んだのでは…?』
と言う仮説です。
僕はこの仮説を胸にしまって内浦に行きました。長岡バス停で降り、案内所に寄ってから僕は長井崎中学に向かって歩みを進めました。
その約3分後に僕の目の前に表れた光景がこれです。
9話でお馴染みの光景です。
ここでも一方通行標識は前置きで述べたような仕事をしているのですが、一方通行の上にある"区間終わり"の標識をご覧下さい。
これ、アニメの方では意図的に映していないな...と思ったのです。
物語が上手く進むこと暗示している一方通行の上に"止まれ"を彷彿とさせる"区間終わり"の標識は演出の都合上良くないのかな...と考えました。
ここで交通標識等はアニメの演出として使われていることに確信を得ました。
同じく9話のこの場面。
道が合流しているのですが、これは『果南と鞠莉の歩んできた道がこの先重なる。』ことを示していると思いました。
この辺りから僕が上に書いた仮説が熱を帯びてきました。
製作者の方々はしっかりとした意味を持たせて道を選んで、その道を鞠莉に意図的に走らせているな...と。
極めつけがこれ
10話のBパート、学校で梨子のピアノを聞いた千歌は帰りにこの場所に来ます。
内浦を訪れた経験のある方はお分かり頂けると思いますが、浦の星女学院と千歌の家はそこそこ距離があるにも関わらず、この場所は丁度学校と家の中間に位置しているように感じました。
何故この場所を選んだのでしょう...?
海が見える場所であれば浦女のバス停の前でもいいですし、千歌の家の前の海岸であれば2話の場面を踏襲出来るのですから、これはこれでエモーショナルな演出と言えるでしょう。
答えは上に出ているのですが、""反射鏡""の存在があったから敢えて学校と家の中間に位置する長浜を選んでいると考えました。
仮説は確信に変わっていきます。
『製作者の方々は沼津を隅々まで周り、アニメのシーンが演出の上で最も映える場所を選んで作品を作っている。』
と...。
沼津で見た景色はただの"アニメで見た景色"で終わらずに、アニメの画面の中で重要な役割を担っていたんです...!
僕はこの確信に製作者の方々のあまりにも大きな"愛"を感じてしまい、沼津が大好きになってしまいました...。
ラッピングバスや街中にあるパネル、どれもラブライブ!サンシャイン!!が沼津に受け入れられていることが分かり嬉しく思います。
けれども、形もなく目に見えない"愛"をこうして感じれたことは、自分がアニメを見てきて本当に良かったな...と思わせてくれました。
自分の観測範囲が狭いことを完全に棚に上げているので恐縮ですが、こういう沼津とアニメ演出を繋げたような話を目にする機会がなかったので、僭越ながら記事に書き起こさせて頂きました。
『いや、そんな当たり前のこと今更言われても...。』と思われる方が居たら申し訳ありません...。
ただ、これから沼津を訪れる人達がこの記事を読んで、更に新たな発見が出来るようであればとても嬉しく思います。
最後に内浦で撮った写真の中で一番好きな写真を、この記事のサムネ用に貼り付けて終わりたいと思います。
また、内浦行きたいなぁ...。