ギャン・バギャム・ソルドン

一打粉砕に怒喝の心力を込め、万物を叩き割る剛剣の刃を生み出さん

人を愛するという事

アイドルや声優(以下、アイドル&声優という意味で「アイドル」という言葉を用いています。)を好きになる行為は、とても自由だ。好きになりたい時に好きになって、消費し切れない程のコンテンツをマイペースに消費して、飽きたら離れて、また興味が出たら戻ってくる。誰も咎めるものは居ないし、好きになる事に責任を負う必要は無い。一見聞こえの悪い、誠実さの欠いた行動にも見えるが、これらの行為が許されているのは、アイドルの大きな魅力だと私は考えている。

また、自分の注ぐ愛情が(よっぽど変な事をしない限り)、それがどんなに重い感情であろうと、無条件で受け入れられるのも、アイドルの魅力なのだろう。ありったけの愛情をぶつけても壊れないサンドバッグに、僕はお金を使う。

自分が全力で声優を追いかけていた頃からこの考えを持っていた訳ではないが、少なくとも今の自分の価値観はここに書いたようなものだ。自覚がある。

 

…どうやら、僕の持つ愛情は一般的には「重い」方に分類されるらしい。まぁ確かに昔からその兆候はあった。いつだって、1つのアニメ、1人のアイドルに短期間で深く入り込んでいた。行き場のない愛情を、時にはインターネットの海に放ち、時にはオタクと喋りながら酒と一緒に飲み込んだ。

 

初めてアイドル以外の人間を好きになった。当たり前だが、アイドルを推すのとは訳が違う。そんな事は分かっていた。先述の通り、アイドルを好きになるのは自由だ。しかし、一般的に人を好きになるのは自由なのだろうか。私は No だと思う。勿論、何もかもが許さていない訳では無いが、不誠実な態度や中途半端な覚悟は相手を振り回してしまう。これは良くない。自他がアイドルを無責任に好きになる事に対して、一抹の罪悪感や気持ち悪さを抱いてきた僕は、必要以上に好きになる事、好きでいる事に責任を感じていたし、なんなら愛想尽かされるまでは、ずっと好きでいる覚悟もしていた(と思う)。明らかに重たいと感じるが、僕はこういう態度しか取れなかった。

 

別れてから数日経って、自分のダメだったところが次から次へと思い付く。恋は盲目とよく言うが、本当に何もかも見えていなかった。次があれば、もっと上手くやりたい。