ギャン・バギャム・ソルドン

一打粉砕に怒喝の心力を込め、万物を叩き割る剛剣の刃を生み出さん

TVアニメ『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』感想/総評

ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会のTVアニメ放映が終了した。放映期間中の3ヶ月間はTLのお祭りのような雰囲気を楽しむと同時に、このアニメと自分の感性の噛み合わなさに苦悩した日々でもあった。良いと思った話もあれば、イマイチ刺さらなかった話もあり、元より虹ヶ咲が現実で行ってきた活動が好きだった私にとっては、アニメをアニメとして評価したい気持ちと、肯定的に受け止めてこの先の虹ヶ咲も追いかけたい気持ちが胸の中に共存していた。そんな訳で総評をざっくばらんに綴っていく。

 

ラブライブらしさとは

1話の放映当時、私はこのアニメを見て「ラブライブらしくないな」と思った。 当時の根拠は「無印やサンシャインとは特にライブシーンのリアリティライン*1が異なる」や「キャラクターの仕草にわざとらしさが無い」を挙げているが、今考えると当たらずも遠からずに思える。この「らしくなさ」は回を重ねる毎に色濃くなり、私はこのアニメを今までのラブライブシリーズとは全く別のアニメだと思っている。さて、無印及びサンシャインのどこに「ラブライブらしさ」を見出すのは人それぞれだが、私は「キャラの感情に嘘が無いこと」がラブライブらしさだと考えている。詳しく書くと長くなってしまうが、例えばことりと海未がなぜ穂乃果と一緒にスクールアイドルをやろうと思ったのかも、津島善子が堕天使を好きな気持ちを捨てきれずに居たことも、アニメの中でその根拠が明確に描かれており*2*3、多くを通してキャラクターの感情が自然と入ってくる作劇になっている。そしてこれは無印とサンシャインに共通する特徴だと思う。

一方で虹ヶ咲のアニメはここが徹底されていないように見えた。根拠自体は描かれているが、明確とまでは行かないという言い方が正しい。歩夢が侑以外のファンを好きになった描写も、侑が音楽を始めたいと思った描写*4も出方に唐突さがあり、もう一押し見ている側の感情を誘導してくれるような描写が欲しいと思った。この明確な根拠を描写しない作風は、8話のラストシーンでは桜坂しずくというキャラクターの読めなさに貢献していたり、侑が歩夢に音楽に興味があると打ち明けるシーンでは「どうして言ってくれなかったの...」という歩夢の気持ちとリンクする作りになっており悪い事ばかりではないのだが、結果としてはそこまで深くは刺さらなかった。ただその作風とは打って変わって、6話では璃奈の感情の変化が分かりやすく描かれている。特にAパートで「自分は変わった」と言いながらもずっと無表情で同好会の面々と過ごしているシーンをこれ見よがしに描くことで、Bパートで璃奈が感じる絶望に気持ちが付いていく構成になっており、虹ヶ咲のアニメの中でも異彩を放つ好きな話だ。

 

・アニメの主題と「あなた」

虹ヶ咲には「あなた」という概念がある。その出自は古く、1stアルバムに収録されている「夢への一歩」を始めとした楽曲*5の歌詞は、曲を聴いている「一人」が意識されている。その一人こそが「あなた」であり、そこに曲を聴いている自分自身を重ねる。少なくとも私は虹ヶ咲をそのように楽しんできた。アニメ化に際しては、その「あなた」という概念に名前とキャラデザとCVが付いたことに少しだけショックを受けた。何故なら上原歩夢の言っていた「あなた」とは私のことではなく、可愛い容姿を備えた別の女の子だったからだ。このような感情を持ちながらアニメに臨むことになったが、13話を見終えた今は不思議と納得感がある。高咲侑は間違いなく「あなた」だったが、「あなた」は高咲侑だけではなかったからだ。

虹ヶ咲のアニメが意識的に描いていたことの一つとして、「ファンの存在」があると思う。無印やサンシャインでも彼女たちをアイドルとして見て好きになる人々の存在は度々描かれていたが、その出番はアイドルに比べたら圧倒的に少なく、同じキャラが複数回出ることもなかった*6。それを踏まえると、虹ヶ咲が璃奈のクラスメイトや副会長を含めたファンの存在をいかに多く描いていたかが分かる。このアニメに於いて、アイドルとファンの関係は限りなく対等に近い。ファンの好きという気持ちが12話の歩夢の気持ちを動かしているし、スクールアイドルフェスはアイドル側だけでなく、ファン側の願いも叶える場所であった。アイドルにはファンが付いているのと同様に、ファンにはアイドルが付いている。13話で流れた楽曲は「あなた」へ向けて歌われているが、このライブは侑だけでなく、画面の前に居る自分に向けても歌われているように思えた。「あなた」はたった一人ではなく、虹ヶ咲を見ている皆なのだと気付くのに時間は掛からなかった。少しの寂しさはあるが、「あなた」という概念でファンとアイドルをずっと繋いできた虹ヶ咲が描くべくして描いたお話だったように思う。

 

 ・仲間でライバル

仲間でライバル。これもアニメの中で繰り返し描かれたことの一つと言っていいだろう。 私自身、アニメ化の前からこの「仲間でライバル」という虹ヶ咲9人の関係性が大好きだった*7。1stライブではアンコールに出るアイドルを一人だけ選ばなければいけなかったり、AbemaTVのウルトラゲームスでは、イメージガールを決めるためにキャスト同士が数多くの対決を繰り広げてきた。競い合うことの多さは時にネガティブな感情を想起させたが、そんな歪んだ構造が1stライブの鬼頭明里さんの名MCを生んだし、間違いなく声優アイドルコンテンツとしての虹ヶ咲の魅力の根幹を形作っていた。アニメではギスギスした雰囲気を出すことを避けている為か、仲間の側面がライバルより多くフィーチャーされたが、それでも現実の虹ヶ咲が身体を張って作ってきた関係性がアニメで描かれることには嬉しさがあった。6話で璃奈ちゃんをステージに送り出す8人が「頑張れ」とエールを送るのも、9話で果林さんが同好会のみんなとハイタッチをしてからステージに向かうのも、挫けそうな誰かをまた別の誰かが励ます光景も、どこかで見たことのあるものだった*8。だがこれはアニメそのものの面白さと言うよりは、虹ヶ咲の今までの歩みを踏まえた上での面白さである為、アニメに対してあともう一押し何か...!という気持ちも少なからずある。もしアニメから虹ヶ咲に触れていたら真っ白な土台からアニメを楽しむことが出来たであろうが、虹ヶ咲と共に過ごしてきたこの2年と少しの間に得た情動には計り知れないものがあり、間違いなく宝物だと言える。この宝物とはもう少し一緒に居たいから、私はこのアニメと和解し適当な場所に妥協点を見つけて、恥ずかしながらも生きながらえていくのだ。

 

 

最終的な総評としては、描かれたものは好きだが描かれ方が好きでなかったに落ち着く。これからもゆるゆると、虹ヶ咲の未来を見ていきたい。

*1:アニメのシーンが劇中で現実として扱われるか、虚構として扱われるかの度合い

*2:一緒に木登りをして素敵な景色に出会えた昔の経験から

*3:校内で不意に堕天使のキャラが顔を出してしまうシーンや、夕日の中で黒い羽根を名残惜しそうに見つめているシーンから

*4:侑がピアノを弾いている描写は音楽に興味があると言うよりは CHASE! が特別に好きという描写に見えた

*5:あなたの理想のヒロイン、CHASE!、ドキピポ☆エモーションも同様に一人を意識した歌詞になっている

*6:ヒフミやよいつむはファンではなく学校の友達や仲間として描かれている印象

*7:詳しくはこの記事に記述。

*8:主に校内マッチングフェスティバルのMC及びメイキング映像で