ギャン・バギャム・ソルドン

一打粉砕に怒喝の心力を込め、万物を叩き割る剛剣の刃を生み出さん

ギャン・バギャム・ソルドン って何だよ

少し前にTLでクイズを作って、フォロワーに答えてもらうやつが流行ったんですよ。それで僕もクイズを作ったんですけど、ちょっと気になってブログの名前である「ギャン・バギャム・ソルドン」について聞いてみたんですね。そしたら、思っていたより正答率が低くて驚いたんですよ。みんな知ってると思ってたから、軽くショックでした。いや、でもよく考えてみると皆が知ってるハズはないですね…。これが件のそれです。

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「ギャン・バギャム・ソルドン」って、金色のガッシュ!!って漫画作品に出てくるアースって奴が使ってる呪文の事なんですね。別に作品の中でアースが特に好きとか、そういうのじゃないんですけど、呪文を唱える前の「一打粉砕に怒喝の心力を込め、万物を叩き割る剛剣の刃を生み出さん」って詠唱が好きでお気に入りです。難しそうな単語を羅列するの、かっけぇ…。意味も「この一撃に全てを乗せて、お前を打ち倒す!」ってもので、カッチョイイ。つまり、この呪文をブログのタイトルに掲げているという事は「ここに書く文章に全てを込めて、お前を倒す」って僕からのメッセージな訳です。

何でこんな事を書こうと思ったかと言うと、漫画を読み返したからなんですね。めちゃくちゃ久々に読み返しました。4~5年振りかな…多分。最終巻の発行年が2008年で、完結から10年以上経ってたのか…ってなりました。

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僕の手持ちのガッシュの漫画です。当時は、毎週水曜日にコンビニに行き、サンデーを立ち読みしつつ、なけなしのお小遣いでブックオフに行って、中古で漫画を集めてました。そんなクソガキでしたが、気付いたら清麿よりもずっと歳上になってましたね…。そんな少しの切なさと懐かしさと、あの頃の自分では作品から感じ取れなかった感覚を感じながら、一気に読み返しました。

1番心に響いたのは、ゼオンとの戦いで見せた、バオウ・ザケルガでデュフォーの憎しみを食らう所ですね…。バオウは覚醒によって、より強大で禍々しく変貌を遂げてしまうんですけど、その禍々しさとは裏腹に、バオウは相手の憎しみや哀しみを受け止めて喰らい尽くす、優しさの溢れた雷なんですね。この雷が「やさしい王様」を目指す者が奮う力として相応し過ぎて、クッソ感動しちゃいましたね…。ずっと前は、このシーンで感動する事も無かったんですけどね…、色々と読み取れるようになると、見える世界がガラッと変わる。

過去の作品を見返すのは、やっぱり楽しいです。特に、初めて見てから2~3年以上経つ作品を見返すのは、自分の感性の変化をまじまじと見つめられるので、本当に楽しい。最近、アニメも過去に見た作品を見返すことが結構あって、その度に自分があの時とは違う場所に居るのを実感します。まぁ、前に進んでるのか、後ろに退いてるのかは分かりませんけどね。常に変わっていくところが、僕の唯一の変わらないところなのかなと思います。

それではこの辺で、いざ…さらば…。

Brightest Melody

サンシャインの映画は2回しか見てない*1。気軽にお金が使えないという理由もあるけど、何回も観るものじゃないなと僕が感じているのが、理由として1番大きいのだと思う。ライブの円盤を頻りに見返すことをしない感覚と同じだ。自分なりに映画から感じ取れるものは、9割くらい受け止め切った気がしてるけど、Brightest Melody(以下、省略の為にBMと書く)を見て自分の中から湧き上がる感情についてだけは、未だによく分かっていない。

そんな中、BMのCDが発売された。僕光を聴く時にちょっとだけ身構えてしまうのと同様に、BMを聞く時も覚悟を要してしまうので、無限リピートはしてない。プレイリストに入れて、黄昏時に歩きながら偶に再生するのが、僕なりの聞き方だ。そして曲を聞く度に、脳に電気が走るような感覚と、「自分はこの曲を聞いて何を思っているのだろう」という少しのモヤモヤが生まれる。自分の中で得体の知れない感情が蠢いているのは、思っていたよりも気持ち悪い。なので、このCD音源を頼りに、あの時の自分の心に何があったのか考えてみようと思う。

BMは、輝いていた過去を噛み締めながら、その全部を名残惜しげに今に刻み付けるような曲だと思う。6人のAqoursで少し前に踏み出した事で、自分達の持つ力の無さや不安、寂しさを知ったからこそ、再び9人で踊れる事の嬉しさを彼女達は胸に焼き付けているように僕には見える。そして、その嬉しさと同時に、これが9人のスクールアイドルとして歌う最後の機会である事への切なさも。その姿を見て、僕は胸が張り裂けそうな思いなるのだ。9人のAqoursは思っていた以上に眩しく輝いていて、未来には不安が沢山あると認めた上で、嬉しさと名残惜しさ混じりに「前に進まないと」と歌い上げるから、僕はこの曲が好きなのだと思う。

僕は今でもこうして、サンシャインについて何かを考えては文字を綴っているが、2年前の自分がサンシャインにハマった頃に持っていた熱量に比べたら、今の熱量はそうでもない自覚がある。何かに飽きる事は自然だと思っているので、悪いとは思っていない。ただ僕は、周りが見えなくなる程に何かにハマったり、夢中になる状態そのものが好きだから、今の生活に物足りなさを感じているのは事実だ。だから僕は「とびっきりの何か」をまた見つけたい。その何かは分からないから、楽しかった過去に背を向けて、色んな物に首を突っ込み続けていきたく思う。Brightest Melody は彼女達が未来へ踏み出す為の決意の歌だったかもしれないが、僕にとってはこの気持ちを後ろから後押ししてくれる、救いの歌だったようにも感じた。

前に進むことで面白そうな物と、これからも沢山出会っていきたい。

*1:全体で見たら2回でも多い方かも。

日記

今日は何をしようかと考えていたら、午前中が終わっていた。おかしい…おかしい。「あみゅりぶ」という前田佳織里さんと富田美憂さんのイベントに5,000円で入れるらしいけど、全容の分からないイベントに自分にとっての大金を突っ込むのが怖くて行くのを辞めてしまった。人はこうしてチャンスという物を逃していくのである。

最近買った声優アニメディアに、2018年に行われた楠木ともりさんのバースデーライブのレポートが載っていて、それで声優がアニメに出演するキャストではなく、一人の表現者としてステージに上がる姿に興味が湧いてる。いや、だって楠木さんがこのライブの為に用意した新曲のタイトルが『僕の見る世界、君の見る世界』ってだけで、曲も歌詞も聞いた事ないけど、もう何か好きになってしまう。恐らく、俺の見ている世界と全く同じ世界は、誰も見ることが出来なくて、それでも、1%でも5%でも重なる世界がある筈だと信じて、こうして文を書いて、世界や気持ちを共有した気になっているのだろう。この歌が、こういった感覚に則って紡がれているのかは分からないけど、是非聞きに行きたい。

いや、別にこの話をしたくて書き始めた訳じゃないと言うか、そもそも何を書くかなんて何も決めていなかったな。虹ヶ咲のライブもAqoursの5thも何ひとつ当選しなかったので「まっ、人生なんてこんな物だわな。」という気持ちになってる。まぁでも、5thはLVで見ればいいし、虹のライブは…配信があると信じるしかない。鬼頭明里さんの衣装を近くで見たかった…。はぁん、鬼頭明里さんの…おへそ(鬼頭明里さんの事務所はへそ出しOK)。ライブの形式みたいのは全然分からないけど、もしステラボールに椅子を並べてやるとしたら、多分入れる人数は結構少なくなるだろうし、そりゃ当たらないわな。

そんな訳で、昨日は抽選に外れた鬱憤を晴らすのも兼ねて、お台場~上野まで飲酒しながら歩きました。寄り道しながら、大体4時間弱くらい掛けて歩き倒しましたね。飲酒しないとやってられなし。僕、埋め立て地を歩くのクッソ好きなんすよね。いや、だって海とかいうめちゃくちゃ広大で何億年もかけて作られた自然を、人間がわざわざ「自分達が住みやすいようにしたい」っつう、理由だけで作り替えてるんですよ、ヤバくないすか。面白すぎる。

まぁ、そろそろ1000字なので、こんな所で終わりにしますね。僕はこれから喫茶店にでも行って200円でコーヒー飲みながら勉強でもしようと思います。金が無限に欲しい。それじゃっ

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暇だ...(なので、アイドルという概念について考える)

暇だ、びっくりするくらい暇。卒業研究が終わったのは嬉しいけど、急にやることが無くなった生活というのは、なんだか手持ち無沙汰でそわそわする。忙しいのは嫌だけど、暇なのも嫌、あぁ人間とは何と自分勝手で我儘な生き物なのだろう。暇な時にすることと言ったら、アニメを見るか、アイドルという概念について思案する以外にやることが無い。...紀元前のギリシア哲学者かな?

僕はアイドルという単語を何気なく使っているが、その実この単語が何を意味しているのかよく分かっていない。「アイドルは人間なのか?」という問いに対して、持ち合わせている答えというのは無い。合っているような気もするし、間違っているような気もする。という訳で、ここでハッキリとさせておこうと思う。

 結論から言うと「アイドルは人間じゃない」というのが僕の答えだ。これはステージの上に立つ人間は人間じゃないと言う意味ではない。アイドルとは人を見た時に人間が「その人を想像することで勝手に作り上がる人物像」の事なのだと思う。アイドルとは形ある物ではなく、人間の頭・心の中にしか存在しない曖昧なものではないだろうか。

アニメ作品に内的な価値は無く*1、その作品を見た人間の内部に素晴らしいと思う気持ちが生まれたり、つまらないと思う気持ちが生まれるだけ、という言説を僕は信じている。アイドルも恐らくこれと同じで、結局、人の心の中に、人に対して抱く思いだけがあって、その気持ちが自然と人間をアイドルに仕立て上げてしまうのだと思う。誰かが誰かにとってのアイドルになる可能性がある世界なのだから、形のあるアイドルという肩書きそのものに、さほど意味は無いと感じてしまう。

 僕はステージの上に立つ人間に対して、あれこれと考える。この人はこんな性格の人なのだろう、とか誰にも見られない場所で金麦をガブガブ飲んでいてほしい、とか期待や願望混じりの想像をする。恐らく、こういう期待・願望の混じった想像の末に自分の頭の中で出来上がる人物像こそがアイドルなのであり、僕はこの人物像をステージの上に立つ人間に重ねてしまう。

ステージに立つ人間は、他人の考えた幾多の人物像を背負って、その場所に立っている。数多の人が押し付けてくる背負いきれない程の理想像を、人間が一人で背負おうとするから、アイドルとは悪趣味で面白いのだと思う。人が自分の預かり知らぬ場所で勝手に大きくなった自分の幻影を背負うのに、どれだけの努力や覚悟が必要なのだろうか、僕には分からない。だから、その覚悟に敬意を表して、ステージに立つ人間のことを僕はアイドルと呼ぶのだろう。あれ、アイドルって人間なのか?

 

・参考文献(文献でなし)
1. フォロワー!
2. 少年ハリウッド*2

*1:勿論、アニメーターの人が何千枚という絵を描いたり、音楽を付ける行為自体には大きな価値がある。

*2:少年ハリウッド -HOLLY STAGE FOR 49-/少年ハリウッド -HOLLY STAGE FOR 50- | アニメ動画見放題 | dアニメストア

Wake Up,Girls! を見た

これはここだけの話何ですけど、アニメWUGを見ました。本編12話と、七人のアイドルと、青春の影だけです。beyond the bottomdアニメストアで配信してないので見てません。数日後にゲオにでも行って借ります。実は声優ユニットの方に興味があって、3月8日のSSAのチケットを取ったんだけど、まぁやっぱアニメは見ないとだよねってノリで見ました。そんな訳で、短いですけど感想でも書き綴ります。

まず、世界がとても写実的に描かれているのに驚きました。普段はそういうアニメ余り見てないので。おばあちゃんの顔色とかめっちゃ悪くてちょっと笑いました。派手な髪色などを使ったキャラの差別化が無くて、現実離れしない素朴さがあって、最初は顔も名前も全然覚えられなかった。けど、回を重ねるにつれて段々とメンバーの事を知っていって、顔も分かるようになって、キャラクターっていう入れ物に徐々に魂が入っていく感じがとても好きでした。(素朴なキャラデザに物語で肉付けをしていくのに、よりもいみを凄く感じました。)

メンバーが衝突しながら一つになっていったり、曲を貰ったり、レッスンしたり、ライブハウスで公演したり、アイドルが現実でやっている事・やっていそうな事を、そのままアニメに持ち込んだような作風だなと思いました。僕が以前推してたアイドルもavexからCDを出してて、アニメのWUGように、グループ『らしくない』と言われる曲を貰ったりしてて他人事じゃねぇ…って思いました(まぁ、僕はその曲好きだったんですけどね)。秋葉原ソフマップの最上階でライブしてるシーンを見て、『そこ何回も行った~!』って感じになってました。そんな訳でかなり親近感を感じてたんですけど、その感情と『や、アニメでそこまでリアルにしなくても良いっす…』みたいな感情が同居してます。

作風が思ってたよりも全然違ってたので、ラブライブと比較する気も無くなっちゃいましたね。まぁ、というかそれは僕がラブライブのキャラを全くと言っていい程にアイドルとして見てないのが大きいです*1

3月8日まで時間があるので、ちょくちょく曲を聞いて覚えたり、MVを見ようと思います。これまでは恋愛暴君のOPが好きで、それしか知らなかったですけど、アニメ本編の主題歌はどれも良い曲ですね。7 Girls War が好きです。

話したいこと、3つ。

黙々と卒論書いてたから、文章を書きたい欲が全く湧かなかった。でも、そのせいで書きたい事が溜まってしまったでござるなぁ。いや本当に、ブログは卒論と違って文体を崩して書けるし、文章の前後関係にも過剰に気を使わなくていいから楽で良い。

 

1. 1人で居るということ

僕は1人で居ることが多い。大学に行き、1人で講義を受けて帰るだけの生活をしていると、人と関わる機会は殆ど無い。口を開くのは週に1回あった研究室のゼミと、ツイキャス。あとは、月に1~2回くらいフォロワーと会って喋るくらい。特別1人が好きとか、そういうのじゃ無いと思う。ただ、TwitterのTLを見ればフォロワーが居るから、焦って誰かに会わなくてもいいかなぁ~と思ってる節は結構ある。

そんな僕だが最近、卒論を仕上げる為に研究室に2日ほど入り浸った。そこで研究室のメンバーと割と長い時間を共に過ごした。「飯食って帰らね?」みたいな軽いノリでご飯食べに行ったりもした。高校を卒業して以来、こういう事は全くしてなかった。

人と一緒に居るってこんな感じだったなぁ~って気持ちになった。何日も前からDMでやり取りして予定を合わせて会う!みたいな感じじゃなくて、何となく同じ空間に居て、何となく一緒にどっか行くみたいな関係も悪くないなと思った。いや、悪くないどころか、寧ろ心地良かったまである。てか、こういうの久々だったから、かなり嬉しかった。

誰かと一緒に居ることが当たり前になってる人は、こういう嬉しさを感じないで生きているのだろうか。だったら、僕はこの嬉しさを噛み締めていたいから、適度に1人で居たいなと思うのでした。

 

2. 春休みにしたいこと

恐らく、人生で最後の春休みになる。でもまだ分からない、『それなら、最後にしなければいいんじゃないかな!』つって仕事辞めて春休み満喫する可能性はこの先の人生で大いにある。いや、そんな事を言いたい訳じゃない。

この2ヶ月を無為には過ごしたくはない。いつも通りアニメを見て、過去作も漁って、ちょくちょくライブも見る生活を続けながら、少し遠出をしたい。何でこんな事を書くかと言うと、ここに書き残す事で後に引けなさを作るのが目的だったりする。まぁ最後は気持ちの問題だけど。

どこに行くか具体的には、まず山に行きたい。首都圏内で、初心者でも登れる山、それでいて余り人の居ない場所が望ましい。これから探す。完全にヤマノススメゆるキャン△の影響ですね。そして、横須賀に行きたい。おっ、そこのアナタ鋭いですね。その通り、はいふりの影響です。アニメの聖地ではあるけど、単純に港町と船をじっくり見たい欲がある。埼玉に住んでると、本当に海とは縁のない生活になるからね。気兼ねなく各地を散策できる、暖かい季節に早くなってほしい。

 

3. 虹ヶ咲の2人ユニットの話

先日の生放送で、虹ヶ咲のユニットが2人・3人・4人で活動することが発表された。2人でユニット組んでくれるの面白すぎる。僕はともりる×かおりんに組んでもらいたいので、せつ菜×しずくに票を入れる予定でいます。僕がともりる×かおりんに投票する理由としては、2人が一緒に映った自撮り*1が神だから、くらいの理由しかないです。でも、ミヤコヒト先生が描いた4コマ漫画で、せつ菜としずくの好きな物に対する態度が通じているって話が描かれたのもあり、これは追い風が来てる。無限にイチャイチャした後、是非とも2人には結婚してほしい。

いやぁでも、歩夢×かすみとか、かすみ×果林とか、かすみ×しずくとか、しずく×(エマ or 彼方)とか、他にも良い感じの組み合わせがあって、どれも捨て難いんだよなぁ~。かすみんが自分のペースで居られないコンビは基本的に楽しい、でもしずくの上履きにコッペパン仕込むかすみんも可愛いし悩む。呑気なお姉ちゃんと、しっかり者の妹コンビのしずく×(エマ or 彼方)も見たい…。

迷うけど、まぁどんな組み合わせになっても楽しいだろうから、気ままにやってくと思います。

わたてん

日記です。dアニメストアを使い始めてから約3ヶ月ほど経ち、すっかりその便利さが手放せなくなってしまった。アニメをDLして通学中に見たり、気になったアニメを手軽にパパっと見るの、超楽しい。1クールのアニメなら4時間とちょいで見れてしまう。今期の再放送枠でハイスクール・フリートが放送されてるんだけど、我慢できなくてdアニ使って全話見ちゃった。OVAも含めてめっちゃ面白かった。

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サンシャインの映画を見てきた。(2回目)

2回目を見てきました。1回目を見終えた後、清々しい気持ちになったと前に書いたんですけど、今思えばそれは、鑑賞した後に舞台挨拶があって余韻に浸る時間が余り無かったから、余計にそう感じたのだろうなと思います。見終えた後に30分程ボッーとしながら電車に揺られてたんだけど、全然余韻が抜けなくて『とんでもねぇ作品を見ちまった…』という感情に心が支配されてました。

いまYoutubeで映画の冒頭7分くらいが公開されてるんだけど、僕は絶対にスマホ画面であの映画を見たくないって思いがあって。それは単純に、同じ映像に短期間で何度も触れることで、劇場で視聴した時の刺激を落としたくないってのが理由の一つ。放映期間中くらいは劇場に足を運んで、そこで大きなスクリーンと立派な音響の下であの映像を見て、そこから生まれる感情を特別だと思いたいから、というのが多分もう一つの理由のような気がする。同じ思いで挿入歌の視聴とかも全く見てない、というか見れないに近い。

特に、Brightest Melodyの話になるけど。劇中曲のメロディも歌詞も、それを見ている時は凄く胸に染み渡ってきて、めちゃくちゃに感動するんだけど、見終わった後に曲の詳細な部分は不思議と全然思い出せなくて。でも、そうやって思い出せない事が何だかとても心地良くて。あの映像を見てめちゃくちゃに感動したって事実だけで充分で、それが僕にとっての全てで、他には何も要らないとさえ思う。いや、CDは買うんですけど。あの映像の一瞬一瞬に感情が動かされ過ぎて、それ以外の事には1mmも気が回らなくて、だから全然覚えてなくて、でもそれは恐らく映画だからこそ出来る体験だと思うから、僕はそれを大切にしたいなという思い。

あの曲がAqoursの9人で歌う最後の曲という時点で、胸によく分からない感情が生まれてきて。イントロを歌いながら、Aqoursの9人が画面の左から右に、1枚の羽と共に1人ずつ流れてく。日が昇ってカメラが屋上まで引くと同時に、さっきまでとは違う衣装を着ながら、夕焼けをバックにして踊ってるAqoursが居たりして。正直、自分がこれを見て何を思ったのかよく分からない。感動したの一言じゃ片付けられない、もっとよく分からない何かがあって。嬉しいとか、切ないとか、面白いとか、そんな次元じゃなくて言葉じゃ表せない、もっと大きくて、得体の知れなくて、掴みどころのない思いが、ずっと胸の中をぐるぐる駆け巡ってる。この感情の正体に僕が気付くのは、まだまだ先になりそうです。

2回目だったので、大事な所にはちゃんと目が行きました。鞠莉のママがライブを見て優しく微笑むシーンとか。というか、この映画今までアニメで出てきたシーンのオマージュが多いなってめっちゃ思うんですよ。曜が制服に飛びつくシーンを初めとして、花丸がホットドッグ食べるとこも、ルビィの妄想の中で善子がガラスにへばり付いてるのも、千歌が一心不乱に歌詞を書いてるのも、それ以外にも何個か見覚えのあるシーンがあって。特に僕が好きなところは、鞠莉のママが「スクールアイドルなんて下らない」って言った直後、3年生の3人がママに反論してる時に、1年生と2年生の6人が、3年生の味方になるように左から1人ずつ右に映ってくシーンがあって、それが1期13話のミュージカルのオマージュになってて、何だかテンション上がってましたね。この映画がテーマに沿って「今まであった事」を意識して作られてるって事実に、嬉しくなりました。全部噛み合ってるんすよね。

そんな訳で、この作品やべぇ…とんでもなく凄いし面白い作品だ…という意識を新たにするきういンゴなのでした。

劇場版サンシャインについて語る。

映画を見てから約1週間ほど経って、感情の整理もついてきたので、映画の感想について綴ろうと思います。以下、劇場版ラブライブを劇ラ、劇場版サンシャインを劇サと書いています。

劇サは、海外に行ってライブして帰ってきて、答えを見付けて、誰かを巻き込んでライブをして、自分達だけのライブで締める劇ラの構成を踏襲しながらも、劇中で描かれた物語は劇ラとは真逆とも言える作品だったと思う。こうなると、ついつい両者を並べ語りたくなる。

劇ラが「私達が今を精一杯に輝くことが、未来永劫に残っていく」という、未来と今を繋ぐ話をしてたのに対して、劇サは「今まで過ごしてきた時間は消えない。ずっと残ってる」という、過去と今を繋ぐ話をしてる。両者ともブレずに同じ話をしてるとも取れるし、真逆の話をしてるとも取れる。こうして両作品が表裏一体の関係になってるのは面白いと感じるし、何となく劇サって作品そのものが「μ'sの作った未来は本当に輝いてたのか?」って問いに対して「輝いてたよ」と答えてあげる、劇ラに対するアンサーだったとさえ思う。

劇ラでしていた、全国のスクールアイドルを秋葉原に集めてライブをする、お祭り騒ぎのような大きなスケールの話を、劇サはしていなかった。けど、そのスケール感の小ささが、僕にはとてもサンシャインらしいと思えた。地味で普通な規模の話。μ'sのように、神話のような物語はAqoursには紡げない。沼津で、身近な人にスクールアイドルの良さを分かってほしいと願いながら、自分達の手で作ったステージの上で精一杯踊る。劇サの作劇は飽くまでも、人間が全力で頑張れば実現できる領域を出ていなかったと思う。そんなスケールの小さな物語に、僕は親近感を覚えた。

思えば、悩んだ末に答えを出した劇ラとは違い、劇サは最初から胸の中にあった答えに気付く話だった。やはり親近感が湧く。もっと言うと、答えは最初から出ていて、その答えの正しさを信じられるようになる話だった。答えなんて最初から一つしか無くて、そんな事分かってるけど、でもその答えを100%は信じ切れない。千歌たちの抱えている悩みは等身大で、人間臭くて、自分も身に覚えがある。そういう人間臭さに、僕はサンシャインらしさを見出したのかもしれない。

降幡さんがよく、ルビィの成長に置いて行かれそうになるって旨の話をしていたけど、何となく気持ちは分かる。Aqoursラブライブで優勝するという大きな功績を成し遂げたことで、Aqoursが少しだけ僕から遠くに行ってしまったような気になって。でも劇場版を見たら、また彼女たちがとても身近な存在に思えて、それが僕は嬉しかったんだと思う。ラブライブで優勝したとはいえ、新しい学校に足を踏み入れるのは不安だし、中学の時の同級生と話すのでさえも怖い。そういう弱さを垣間見せた描写に、僕はAqoursの人間らしさを見た。

内浦の観光案内所、沼津の仲見世商店街や駅のホームまでもがライブの舞台になっていて。今まで滅多に描かれなかった男性という存在を描くことで、劇中の世界がよりリアルに、現実に近くなる。ノートPCで曲作りをしたり、音響の準備をしたり、ステージを自分の手で作る等。なるべく現実に沿った映像を多用した事や、話のスケールが小さくなった事全部、Aqoursをもっともっと身近な存在だと思わせる為のピースな気がしてならない。Aqoursを今まで以上に身近に感じられるから、何か物語が終わった気がしない。映画を見た後、μ'sとはもう永遠に会えないような気持ちになるけど、Aqoursには沼津に行けば、また会える気がする。

劇ラの、見終わった後に抜け殻になって立ち尽くすしかなくなるような強烈な視聴体験は、劇サには無かったけど、でも劇サには、心の中に風が吹き抜けるような爽快感というか、気持ち良さとか、圧倒的な清々しさがあった。本当に良い意味で終わった気がしない。「今まであった事は全部消えない、胸に残り続ける」って作品のメッセージと、物語がこの先もずっと続いていくような感覚。この2つがバッチリ噛み合ったから、一本の作品としてめっちゃ良かったと僕は感じたのかなと、今になって思った。

2回目見たら色々と変わるかもだけど、今は取り敢えずこんな気持ちでいます。

としあけ / 劇場版サンシャインの所感を添えて

年の変わり目って自分にとってはとても曖昧で、新年になっても暫くは年が明ける前の年を生きている感覚で居るけど、1ヶ月くらい経つと自然と今が新しい年であることを当たり前のように受け入れられるように毎年なってる。とても不思議だ。

いつもならこの時期は、こんな風に新年と旧年の間をふわふわしながら漂ってるのだけど、今年はなんと言うかもう「2019年、来たな!」という感覚が強い。余りにも鮮烈な幕開け。完全に劇場版ラブライブ!サンシャイン!!のせいなんですけどね。そんな訳で、劇場版サンシャインの第一印象でもササッと書いちゃおうかな。

めっちゃ良かった。最高のライブ・エンターテインメント・ムービーと銘打っていただけあって、最高に楽しくて、かつ面白かったという気持ちが一番強い。ライブシーンが何回かあったけど、一回一回終わる度に思わず拍手をしちゃいそうになるくらい凄かったし、劇中に入り込んでライブを見てるって感覚が少なからずあったように思う。

「今まであった事は、全部胸に残ってる。消えたりしない。だから、次の場所へ進んでも大丈夫」って話だったけど、とても前向きな話だっただけに、作品全体が深刻になり過ぎずに、至る所に笑顔になれる要素が散りばめられてたのが、個人的にはめっちゃ好きなポイントだった。てか、この答えが色んなアニメ・創作物・人に触れて、そこから受け取ったものを自分の一部として、胸に抱えながら生きていくっていう自分の生き方と重なりすぎて「まぁ、そゆことなんだよなぁ~~~!」という感じになってました。

劇場版ラブライブ(無印)の話を少しだけすると、あの作品を見た後って、すごく切なくなるんですよね。μ's がどこか手の届かない遠くへ行ってしまったような感覚になる。誰の手も届かない場所へ行くことで、永遠になる。いや、僕はその切なさが凄く好きだし、僕に遠くに行ってしまったと思わせる映像表現が大好きなんですけど。一方で、劇場版サンシャインはずっと続いていくという感覚が強くて。この映画を見たことが、自分の中にずっと残って、明日からも一緒に生きていけるって事に嬉しさを覚えました。

そう思えたのは、スクリーンの中のAqoursがとても身近な存在に思えたのが大きくて。たとえラブライブで優勝した一目を置かれる人達であろうとも、新しい場所に行くというのは沢山の不安が伴うってのが、自分と同じ人間って感じがして好きでした。僕は沼津でレンタサイクルをして、色んな風景を見て回ったことがあるんですけど、今度は逆にそこで見た景色達を背景にしてAqoursが出てきて、スクリーンに映った映像が現実の地続きな気がしてならないと言うか、沼津に行けば「本当に居る」んじゃないかと思ってしまうくらいでした。これは余談なんですけど、劇場版サンシャインを見る直前に、仮面ライダー平成ジェネレーションズの映画を見たんですけど、その内容が「現実とか虚構とか関係ない、誰かが覚えていてくれる限り、仮面ライダーは居る」というもので、そのせいで余計に沼津の風景をバックにして歌い踊るAqoursを見た時に「Aqours、居るやん…。」となったのが、謎の物語が生まれててめっちゃ良かったです。

まぁでも、やっぱり映画全体がコミカルさを失わずに、常に圧倒的な映像と音楽の力で、真正面からボコボコにされたのが最高に気持ち良かったです。追いかけるのが大変なくらい目まぐるしく変わる画面、展開、休む暇が無い、楽しすぎる、まるでジェットコースター。ライブシーンとか特にそうで、常に「ぎょえええええええ!!!!!」みたいな感じでした。特にSaint Snowとかヤバイ。僕がこういう事を言うのは烏滸がましいんですけど、めちゃくちゃ才能のある監督が絵コンテを切って、その監督が頭に思い描いた映像を、原画やCG等を使って高いレベルで実現できる、素晴らしい音楽家が曲を作って、音を入れるタイミングや音量にめっちゃ拘る音響監督が居る。勿論、これ以外にも沢山の人が関わってこの作品は出来てると思うんですけど、これが全部揃ってる作品になんて本当に中々出会えないんですよね…千載一遇。ありがとうございます、という気持ち。

最高の映像体験、エンターテインメントでした。理亞ちゃんが泣きながら砂浜走るシーンとか、花丸が「それでも現実は辛かった」と言うシーンとか、まぁ他にも色々なシーンでは辛くて泣いちゃったんだけど、でも流した涙の殆どは僕が圧倒的なアニメ体験をしてる時にだけ流れる自分てもよく分からないヤツでした。OPのライブシーン、仲見世商店街に居る人達の足の下を潜りながらカメラが中心に居るAqoursに辿り着くシーンとかめっちゃ好きで、ラブライブだけじゃなく、いつもそういうアニメのパワーを全身で感じれるシーンでは何故か泣いちゃうんですよね。でも最後のシーンとかはとてもスッキリしてて、凄く笑顔で、清々しい気持ちで劇場を後にしました。

そんな訳でこの辺で締めようと思います。僕にとってはめちゃくちゃ好きなエンターテインメント映画でした。相変わらず、サンシャインの作る映像は最強だったなぁ~。1週間くらい経ったら、また見に行こうかな~と思います。2019年も楽しんでいきましょう!