ギャン・バギャム・ソルドン

一打粉砕に怒喝の心力を込め、万物を叩き割る剛剣の刃を生み出さん

ゼミ合宿2,3日目!

2日目の終わりにブログ書いて寝ようと思ってたけど、2日目の予定が詰まりに詰まってて疲れ果てていたから書かずに寝てしまった。

 

・2日目!

朝起きてすぐさま露天風呂に直行。

f:id:kiui_4:20180822140044j:image
f:id:kiui_4:20180822140035j:image

め~ちゃくちゃ景色が綺麗で、渓流がすぐ隣にあって気温も高くなくて、マジで無限に温泉に入っていられると思った。(写真は浴衣の漏れ)(浴衣えっち過ぎて好き)部屋のメンバーを起こすのもアレだと思って1人で露天風呂満喫してた。

 

f:id:kiui_4:20180822141127j:image

色々とあって、午後は後は川へ。

 

f:id:kiui_4:20180822143253j:image

釣りの時間だあああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!泳いでるニジマスの魚影がハッキリ見えるくらいに、水がめちゃくちゃ綺麗でやべぇ。2時間で3匹釣れた。魚を釣りたい俺vs人間に釣られたくない魚の頭脳戦に辛くも勝利。魚、意外と頭良くて全然釣れてくれない。舐めてた。

 

f:id:kiui_4:20180822145610j:image

腹をカッ捌いて……

 

f:id:kiui_4:20180822150104j:image

炭火で焼くンゴオオオオオオオ!!!!!

魚を捌くのは初めての体験だったけど……………魚の内蔵をブチブチ引きちぎるの楽しすぎワロタァァァアアアアア!!!!!!!!!

ニジマスは美味しかった。

 

その後も散歩したり、プールで遊んだり、夕飯食べたり、軽い飲み会もあったりで楽しかった。アニメの話もラブライブの話も1mmも話題に上がらず2~3回くらいしか口を開いてない気がするけど、まぁまぁ楽しかった。宮城の地酒があって、それを1人で黙々と飲んでた。おいちおいちだった。

そんなこんなで程よく酔ったまま2日目は就寝。この日も充実してた。

 

・3日目!

10時に旅館をチェックアウト。そして仙台へ…まっすぐGo!

と、行っても余りバスの出発時刻まで時間もなくて観光と言った観光は出来なかったンゴねぇ。ただ…………

f:id:kiui_4:20180822151807j:image

ずんだシェイク美味すぎンゴゴゴゴゴゴゴゴwwwww

ずんだって枝豆らしいけど、俺の知ってる枝豆はこんなに甘くなくて『なんだこりゎああああああ!!!!』つってた。

 

って感じでバスに乗車。3日間楽しかったわねぇ。一人旅みたいに完全に自由な旅ではなかったけど、誰かと一緒に何かをする楽しさがあって良かった。研究室の人との距離感は割と心地よくて、仲良く喋ったりするんだけど必要以上にベタベタしないみたいな感じで、中々良い人間関係作れてる気がする。Nice 俺!

団体行動をして、いつも自分がしていた一人旅の利点も同時に感じれたかな。次1人で仙台来たら、青葉城跡とか、郷土博物館とか、天文台とか行きたいし、高い牛タンとか海鮮食べたいわね!!!!!

ぉゎり。

 

 

ゼミ合宿1日目!

毎年、研究室のメンバーで合宿に行って、そこで中間発表をしてるということで仙台に来てる。フォロワーの住んでいる街ということでめっちゃ嬉しい。

行きは新宿から高速バスでの移動なんだけど、6時間バスに乗るのはめっちゃ体力もってかれた。でもまぁ、サービスエリアはめっちゃひらけた空間で気持ちよくて、それは良かったンゴねぇ。

f:id:kiui_4:20180820201040j:image

 

んで、はじめて仙台に上陸。いやなんかゼミのメンバーの中で俺だけ異様にテンションが高くなってしまってた。(というか写真撮ってるの俺だけでワロタよね)(一人旅で行く先々の景色の写真を撮って逐一Twitterに上げてる癖が発動してしまった)旅と初めて見る景色大好き侍なので。

f:id:kiui_4:20180820201144j:image

ひょ~~~~~~~~~~!!!!

 

んで電車で30分程移動した後、旅館に到着!

f:id:kiui_4:20180820201824j:image

割と手厚い感じにもてなされて少し笑った。そして中間発表!と言っても、ウチのゼミは毎週のように進捗発表があるのもあって、中間発表は軽め(?)の発表で、教授も研究テーマには余り突っ込む気はなさそうなので気楽な感じで良かった。どっちかっつーと観光とか、メンバー同士の親交をふかめる感じのアレっぽい。

 

んで飯。

f:id:kiui_4:20180820202126j:image

宮城、どこに行っても牛タンがあって笑う。そして美味い。一緒にい飯食った教授から色んな話が聞けて面白かった。

 

f:id:kiui_4:20180820215327j:image

暫くだらだらしてから友達と卓球した。真剣勝負、負けたくねぇ~~~~~~!!!オラオラオラオラ!!!って思いで30分全力で体動かして汗ダクになった。3年振りにちゃんと運動した気がする……。体動かすの楽しすぎワロタァ!

 

んで、温泉に入って自律神経ををバリバリに調えて、コーヒー牛乳を一気飲みして、布団に寝ころんで今日あった事をここに綴っている。

 

高速バスに乗ったり、旅館に泊まったり、運動したり、久々にやったことが多すぎて疲れた。いっつもオタクイベを伴った一人旅しかしてないから、なんか全部新鮮だ。

 

寝よう。(まだ寝ない)

 

 

国立西洋美術館に行ってきた

家でずっとダラダラしてるのも退屈だな~と思い、どっか行くか~ってノリで国立西洋美術館に行ってきた。丁度リリスクのライブも上野であったので一石二鳥なんすよね。

企画展示でミケランジェロ展が催されてたけど、美術館自体に立ち寄ったのが初めてだったので、常設展示だけ見ることにした。チケット売り場に行って学生証を見せたら、ウチの大学の生徒はタダで入れるっぽくて『アドやん』と思いながら内部に潜入。

続きを読む

タイトルが思い付かねぇ

バトルスピリッツ ブレイヴ、全50話を見届けた。そりゃもう、めちゃくちゃ面白い作品だった。はてブー!の下書きに少しだけ感想を書いていたけど、自分の書いた文章を読みながら、『俺は画面の前でもっと熱狂してた』とか、『もっと俺はこの作品からボロクソに衝撃を受けてた』と思って。どこか自分の文章や魂が作品から1歩引いたところにある感じがして。嫌になって、下書きを全部消して、こんな変哲な感情をいま綴っている。

書ける時は書けるんだよな、何故か。自分の書いた文を読み返してたまに泣いたりするし。そういう文章に限ってパパっと、すらすら筆が走る。特に、人の生の感情に触れられるライブの後とかは、文字綴りてぇ~って衝動にいつも駆られる。

最近は自分が読んでて面白くねぇ文章も、『折角、自分の中に芽生えた感情だから』って理由で表(ブログ)に出すことがあるけど、辞めようと思う。てか、Twitterをもっとそういう感情の捌け口として使うべきなんだよな。先月とかにめっちゃブを更新して、半ば中毒みたいになってるのかもしれない。どこまでも衝動に素直で居たいな~と思ったので、ここらでもう一度ラブライブ!サンシャイン!!1期13話でも見直そうかな。

 

自分と他人の境界

自分の考えとか自分はこう思うとか、よく言ってしまうけど、果たして自分の言う"自分"の中には本当に自分があるのだろうか。

生まれた時から周りには他人が溢れていて、周りの環境にどうしようもなく影響されながら自我が形成されていく。どんな人間になりたいのか、そこに自由は、選択肢はあったのだろうか、多分無かったと思う。もしあったとしても、僕は自分自身がその選択をしていたという自覚が全く無い。物心付いた時から15年ほど、そんな生き方をしていたと思う。今でもその生き方は変わっていない、ただ周りの環境や周囲の人間を自分で取捨選択できるようになったことだけが、昔との違いかもしれない。他人の言葉とか考えに触れて『良い』と思ったものが、自分の一部分になっていく。自分が"自分"だと思っていた部分は、よーく見つめてみると他人の一部が寄せ集ったものだったりするのかもしれない。

でも、それはそれで凄く素敵だなと思うのも事実だ。1人の人間の背後に、生まれ育った環境、関わってきた人が居る。背後にあるものはハッキリとは認識出来ないけど、何とな~くその人の文面や行動からぼや~っと感じ取れる気がする。だから僕は人の頭の中が曝け出たような文章が好きなのかもしれない。

一方で、これは心の話。Aqoursの3rdライブで『4thライブが東京ドームで行われる』と発表があった時、嬉しい気持ちが湧き上がると共に、自分がとても誇らしい気持ちになった事を強く覚えている。別に僕が凄い訳ではない事を頭では理解している筈なんだけど、でも何故か誇らしくなってしまう。自分はただの享受される側の一人というだけなのに誇らしくなるのって、普通に考えるとおかしな話だと思う。多分、自分と他人を同一視してしまってるのかな。人と人の間には物理的な距離があって、頭では自分と他人を区別して考えられる。だけど、心の奥底の精神的な部分では、自分と他人の間にハッキリとした境界線は引けないのかもしれない。

結局、他人の一部の集合体を"自分"と僕は呼んでいるに過ぎない。たとえ、自分が周りの環境や他人の一部によって造り上げられた存在だとしても、それは唯一無二で再現性の無いものだから、辛うじて"自分"と呼べているのだろう。

自分の中に居続ける他人から目を逸らすことは出来るけど、自分がさも誰からも影響を受けていない風な振る舞いはしたくない。自分の考えが常に他人から影響を受けている事に、僕はずっと自覚的でありたい。

 

…………という話をはねバド!を読んでからずっと考えていました。

テストぉゎ即アニメ見マン

テストが終わったから何かアニメ見てぇな~と思い、バトスピ少年激覇ダンをこの2日を使って見た。4クールあるアニメを一気見したのは多分、2年前くらいに遊戯王ZEXALを1週間くらいかけて見まくった時以来かな……。

画面に『うおぉぉぉぉぉおおおおお!!!!』って吸い込まれるようなアニメじゃなかったけど、中々面白かった。間違った世界を救う為に主人公は戦うけど、間違ってる世界は間違ってるなりに回ってて、その世界で平穏に暮らしてる人も居る。その人の平穏を壊してまで世界を変える必要があるのだろうか……って考えさせられた。間違ってることは間違ってるからぶっ壊すってダンの考え方は正しいのかもしれないけど、難しいな~って思った。この辺の不完全燃焼感がブレイヴで払拭されたら良いな~と密かに期待しておく。

昨日12~13時間くらい画面を見っぱなしだったのは流石に疲れたので、ブレイヴはゆっくり見進めようと思う。一度にインプットしすぎると消化不良を起こしそうだし、通年アニメはやっぱり週に1話ずつ見ていくのが今の僕には丁度良いのかもしれない。

 

研ぎ澄ませ心

何かを楽しむ為には、武器が必要だと思うことが多々ある。例えば、数学の問題を解くのには公式を覚えていることが前提であるし、スポーツでの真剣勝負を楽しむには、何よりも実力が必要不可欠だ。

趣味でもそうだと思う。最初は誰しもが「純粋な心」という最強の武器を持っている。でも、それは日に日に汚れていく。舌が肥える。切れ味は落ちる。刃こぼれを起こした武器では、目の前の対象は楽しめない。

だから、必死になって武器を研ぐ。色んな物を楽しむ為に、また自分の好きな物について更に深く切り込んでいく為に。

鋭い切れ味を保つにはどうすれば良いのだろう。何をするのが正解なのだろう。分からない。けど、僕は新鮮な事に触れて、それを自分の中で消化して、その過程で感覚が研ぎ澄まされると信じてる。感性という名の武器だけは、いつまでも鋭利でありたい。

 

な~~~~~んて、漠然と思っていた事を文に起こしてみる。因みに、明日はテストだ。

 

 

何を心の支えとしようか

この1週間めっちゃ暑いのもあって、だら~~~~~っと過ごしてました。研究を頑張るって3ヶ月くらい前の僕が決めたのもあって、その時に発した言葉がまるで呪いのように今の僕の心に重くのしかかってくる。言ったことは貫かないとなとダメだと思って、半ば自分自身を騙しながらパソコンの前に座っても、当然やる気のようなものは出ない。

そんな中で今日4thライブの当落が発表されて、何か結果を見てから精神力の回復具合がもう半端じゃなくて。それでやる事を終わらせて、今この文章を綴っているところです。

結局、自分はAqoursに心を支えてもらいながら生きてるんだな~とクッソ実感しました。チケが当たったことは勿論めちゃくちゃ嬉しいんですけど、こうしていつか無くなってしまう存在*1を心の支えにする事って果たして良いことなのかな~って疑問に、少しだけ胸が痛くなったりもしています。

ラブライブ以外にも好きなもの(心の支えになるようなもの)は作りたいとは常日頃から思ってて、ラブライブにハマってからも色々な物に触れるようにはしてるんですよね。けど、どれもラブライブには届かなかったし、娯楽として面白いだけで、自分の中で大切にはならなかったものが凄く多い。これって、良いものを知ってしまった代償なんですかね……どうなんだろ。

詰まるところ、何か支えが無いと心は自立出来ないのかもしれないなぁ~…と思ったので、ラブライブ以外の何かを探しながら今は生きてるのかもしれないです。僕の見てる世界なんてまだまだ狭過ぎて笑っちゃうレベルなので、もっと色んな事を見て、聞いて、知りたいな~って思います。

最近は山登りとか楽しそうだから、やってみよっかな~って願望はあります。歩くの好きなので。(完全にヤマノススメの影響を受けてる)(まぁ、言っても学生のうちは金銭面で辛さMAXなので、勉強し得だなって気持ちはあるんですけどね。)

いつものセカイが隠してる扉を探す日々です。

*1:アニメやキャラクターとしてAqoursは永遠に残り続けますが、新しいアニメーションの供給は無くなるだろうし、声優グループとしてのAqoursもいつかは本格的な活動を終えるって意味です。

アニメ見るやーつ

研究テーマが具体的になるにつれて、本当にこんな事できるのかよ……となってしまう不安に苛まれてます。という訳で、この1週間くらいは現実逃避も兼ねてアニメを見まくってました。丁度夏アニメの1話がバンバン放送される時期とも重なってまぁ~~~楽しかったすね。

誰の唾も付いていないアニメを見るのやっぱ好きだな~って。そのアニメはもしかしたら、自分の人生にガッツリ影響を与えるような作品になるかもしれないし、はたまた"作品の理念"が気に入らな過ぎてクソクソクソ!って貶すかもしれない。『はい、虚無。』で終わる作品って場合も沢山ある。誰の意思や考えにも左右されずに、ただ己の中にだけ存在する美学に基づいて目の前の芸術に対して価値判断していく、これがクッソ楽しい。ただアニメ見て面白いかそうでないか決めるってだけの話なんだけど、こういう書き方をすると凄く贅沢な遊びに見えるね。

こういう数多の価値判断を通して、自分の好き嫌いが見えてくるのも楽しい。もっと言うと、自分の考え方とか心の構造のようなものが見える気がする。自分より外側に存在する物に触れれば触れるほど、"自分"が見えてくる、これが堪らなく好きなんすね。

僕は自分という人間が何者なのかをもっと知りたい。自分を知るって目的でアニメを見てる訳じゃないけど、少なくとも見る理由の1つにはなってるのかな~とは思う。

そんな訳で今期もアニメ見るか~~~となっています。ぉゎり。

 

因みに今期だと僕はレヴュースタァライト、異世界魔王と召喚少女の奴隷魔術はねバド!がすこすこです。劇場版アニポケもかなり良かったすね。

漫画読みの翁

はねバド!、結局全部読んでしまった。アニメやってる時に原作を読むことは余りしないんだけど、3巻まで無料とか言われたら読んでしまうわな。そっからズルズルと引き摺り込まれてしまった。

めっちゃ面白かった。才能のある人間はその才を開花させる為に努力したって事や、才能のある人間をそうたらしめているものは、間違いなくこれまでに積んできた努力だという事。才能という言葉は時にその努力を蔑ろに否定してしまうという事。この辺がグサッと来たかな。

当然負ける側にも物語があったり、口うるさいけど教え子に勝たせたい一心のコーチとか、強い奴だけじゃなくて中途半端な気持ちで部活をしてる奴が居たりとか、当たり前にある事が当たり前の様に描かれてて凄く良かった。5~6年前はあんなに自分の近くにあったスポーツってものが、今では遥か彼方遠くのものになってしまったなぁ~…なんて思ったりもした。

漫画で描かれている選手のことを羨ましくも思った。僕はあそこまで自分のしていた競技を好きになれなかったし、高2の頃からはこなした練習量に対して自分が本当に上手くなっている実感が殆ど無かったからだ。試合の中で相手を出し抜いた時に感じる優越感は堪らなく好きだったけど、水球って競技自体が好きかと問われたら、「まぁ好き」としか言えない。てか、好きだったら大学入っても続けてるわな。

その競技を好きで居続ける才能が存在するのか、それとも伸び続ける奴が競技を本当に好きになれるだけなのか、僕には分からない。

はねバド!を読んで、そんな懐かしい気分になってました。最近モヤモヤする事も多いし、たまには全身ヘトヘトになるくらいに運動してぇな~~~~。