ギャン・バギャム・ソルドン

一打粉砕に怒喝の心力を込め、万物を叩き割る剛剣の刃を生み出さん

12/5 いーや昨日の出来事を今日の日記に書いてもいい

・ぺこぱの話

シャドバのアニメを見てるとCMでよく見るんですよね、ぺこぱ。今はこんな人たちが人気なのね~程度に思っていたのだけど、漫才を見るとこれが中々悪くない、むしろ良い。元々オスカーの芸人部門に居たという話をフォロワーに聞いていたのだけど、あぁ確かに完全に他人事とは思えない感じがある。オスカーのアイドルを追って、グループの解散と共に散り散りになっていくメンバーを見てきた身としては、オスカーの芸人部門が解体されて散り散りになったオスカー芸人達の想いを背負ってM-1の決勝に向かうぺこぱというのは、必要以上に激的に見えたのかもしれない。4年前にすえまつ目的でソラトニワに通っていた時に勝又(オスカー芸人)さんのラジオを少しだけ聞く機会があった、まぁ内容は本当に何も覚えていないのだけど。こう、オタクをしていると『繋がる』瞬間って偶にあるじゃないですか。推し目当てに見た舞台で共演してた人と違うコンテンツで再開したり、好きになった声優さんが自分が好きなアニメに実は出演していたり、結局はただの自己満足ですけど、自分の中で何かが繋がる時って気持ち良いんですよね。昔の自分の行動に有意味感を見い出せるし。今後もそういう何かが起こってほしいなという思い。

・鬼滅の話

コミックス最終巻を読みました。いやぁ、面白かった。9巻を読んだ時は感動したと同時に、不思議な漫画だな~と思った。人間という生き物の命の儚さを描いていて、何となく哀愁漂う感じがとても好みだった。実は鬼滅はアニメよりも原作の方が好きだったりする。鬼滅の刃という作品に流れている物悲しさは、白黒の世界に細い線と優しいタッチで描かれる漫画という媒体によく合っていると思う。この雰囲気は整った作画と色彩を使うアニメでは出せない。アニメも面白いが、アニメの好きな部分は漫画では表現出来ないアクションシーンで、アニメと漫画でお互いに見所を補完している印象がある。

9巻では不思議という感想を抱いたが、いざ最終巻まで読んでみると、意外と描かれたことは単純だった気がしてくる。人の思いは潰えない。人間の命の儚さも、否応なく理不尽に消えていく命も、人の思いが受け継がれ無くならないことを際立たせる為の描写であったと今になって思う。最終話では急に現代の話になるが、人の思い(または血脈)が受け継がれていることや、理不尽に命が脅かされることの無い生活が淡々と続いていく様は、それこそ炭治郎たちが思い描いていて世界だし、鬼滅の刃の幕引きとしてこれ以上無いとさえ思う素晴らしさだった。いや本当に素敵な作品をありがとうございますという気持ち。ちょっと読み返すか…。