遂に9話まで来ましたね、気張って書いていこうと思います。様々なオタクのブログ見ていたら引用とか色々工夫した方が見やすいかなと感じたので、今回試してみようと思います。
9話は4話の延長にあると考えていて、これまた向き合うこと、話をすることが大事だと描かれていているので、そこに目を付けて見ていこうと思います。
それでは今回も興味のある方は是非お付き合い下さい。
アバンです。あどけなさの残る鞠莉の悲しそうな顔と、衣装がヨレヨレになってること、切ない劇伴が一層こちらの悲壮感のようなものを掻き立ててくるので辛いです、辛い。
ダイヤは俯いているのに対して、果南は鞠莉を突っぱねるような表情をしているのが辛いんですよね...。
うん! 私は出たいかな!
そっかぁ...!
千歌ちゃん...!
千歌さんもリーダーっぽくなって参りいましたね、ここは梨子が出した案を否定することに意味があるんじゃないかなぁ...と思っていて
だからいいの 千歌ちゃんは感じたことを素直にぶつけて 声に出して
という8話の最後で桜内が千歌に放った台詞がちゃんと伝わってるのが分かって好きです。だからこそ自分の意見が通らなかったにも関わらず梨子が凄く嬉しそうにしてるのが良いんですよね。
この話、3年生の表情を追っかけるだけで、相当心にクるものがありますよね。
これまた果南は鞠莉を遠ざけようとするんですけど、果南はこんなに悲しい顔をしていて、4話の内容もそうでしたが、お互いがお互いを想い過ぎるが故のすれ違い程見ていて辛いものないですね...。
ここのダイヤの笑顔、めちゃくちゃ切なくないですか?
2年前に過ごしていた楽しい時間を思い出しているんだけど、その裏腹あの楽しかった時間にはもう戻れないんだな...と思っているようで、辛いです。
あと部室で話しをするシーンですが、ルビィが
でも、この前弁天島で踊っていたような...
って話を暴露して果南が赤面するの好きなんすよね、これと同様に5話で善子が未だにネットで堕天使として配信していることをAqoursの皆に晒し上げるルビィは怖いものしらずか、マジの畜生ですね。好きw
鞠莉がダイヤの話を聞くことでだんだんと曇り空からパラパラとした小雨に移り変わり
果南さんは ずっとあなたのことを見てきたんですよ。
の一言で鞠莉の感情が爆発すると同時に降り出す大雨...心情の描写が丁寧過ぎて大好きです。
この背景の一方通行の標識もいい仕事してるんですよね、もうお互いの思いをぶつけるしか道は残されていない、進むしか無い、そんな意味が画面から伝わってきてアニメーションって面白いな...と僕は思うわけです。
感情をむき出しにしながら走る鞠莉、特に目を瞑って走ってるところが好きですね...。
鞠莉はAqoursで一番直情的な人間だと思ってます、感情を露わにした人間を見るのはとても辛いけど、その分だけ何か訴えてくるものがあると感じます。
ダイヤが鞠莉を諭すシーンも意味があるように思えて。4話でルビィの思いを真正面から受け止めたダイヤは、少しではあれど向き合うこと・思いを言葉にして伝えることの大切さを果南鞠莉より一足先に身体で実感してると思うんですよね。
だからダイヤはあの場で鞠莉にしっかり真実を伝えられたんだと思います。
劇中では描写されていませんが、鞠莉が黒澤家を飛び出す直前にダイヤは
ちゃんと果南さんと向き合って話をしなさい 思いを言葉にして伝えるんです。
と言って鞠莉を導いてあげたのかなぁ...なんて、半分妄想ですが思います。
物語が描きたいテーマって、特にダイヤのような一歩引いた場所にいるキャラクターが言う台詞に起こしてしまうと陳腐になる可能性を孕んでいると考えているので、描写をしないことに意味があるのかなと、勝手に想像してます。
実は僕が一番すきな松浦果南の表情ってこれなんですよね、趣味悪いとか言わないで。
スクールアイドルは 絶対にやらない。
と鞠莉に対してめちゃくちゃ強気な態度を取っていた果南が
いい加減 話をつけようと思って。
思ってること ちゃんと話して。
という鞠莉の一言でここまで怖気づくんですよ...。
自分が果南に初めて人間らしさを見いだせたシーンであり、初めて果南のことを好きになれたシーンでもあります。
何かにちゃんと向き合うことって実は凄く怖いことなんですよね。松浦果南という人間はAqoursで一番何かと向い合うことを恐れてる人間だと感じます。
余談ではありますが、最近発売されたデュオトリオコレクションCDの『夏の終わりの雨音が』での果南の台詞
何か始まるってことは 終わりに繋がるだなんて 考えてもみなかった いや 考えたくなかったんだ。
には果南の人間性が超絶に反映されてると感じていて、解釈一致でめっちゃ笑顔になってしまいますね...w
私が果南を思う気持ちを 甘く見ないで!
音響監督をされている長崎行男によると、このビンタは『不器用な鞠莉の果南への告白』だそうです。(電撃G's magazine 号外 ラブライブ!サンシャイン!! Aqours Spring Special 2017 より)
このビンタには明確に鞠莉の『私とちゃんと向き合って話をして!』という思いが乗ってるんですよね、それが良すぎる...。恐らく鞠莉は果南の表情を見て色々察しがついてしまって、自分と真剣に向き合ってほしいという感情が溢れ出てきてしまったんでしょうね...。
この光景を遠くから眺めながら目に少しの涙を溜めている黒澤ダイヤという存在、僕は居ると思います。
"親愛なる"って台詞の重みなんですよね...。
4話・6話と、姉妹の間にのみ存在する特有の距離感や愛を描き続けてきたダイヤとルビィだからこそ、この台詞の重みは計り知れないんですよね。
ルビィはずっとこの台詞が言いたくて仕方がなかったんだと思います。このシーンは完全に6話の布石が完璧過ぎるが故の良さだと思うので、6話をしっかり見ましょう。(下のリンクは露骨な宣伝です)
未熟DREAMERです、3年生のソロパートが大好き過ぎるんですよね...。
いつもそばにいても 伝えきれない想いで こころ迷子になる
向き合うことを・気持ちを言葉にすることを、ずっと怖がっていた果南が歌うからこその感動。
言葉だけじゃ足りない そう言葉すら足りない故に すれ違って 離れて
個人的にはここに9話が集約されているなぁ...と感じています。4話で描いた『向き合って話す』ことの大切さを踏まえた上で、2年間向き合わずにすれ違ってきた果南と鞠莉のことを、ずっと一歩引いた場所から見ていたダイヤはそのことを
ずっと 気になってた
んですよね...。
ここでのダイヤの振り付けがまた良くて、Aqours 1st LIVE で小宮有紗さんが実際にこの振りをしていた時の表情と指の動きを思い出すと 、また泣けてきます。
わかって欲しいと願う キモチがとまらなくて きっと傷つけたね
上記にもありましたが、鞠莉は直情的なんです...溢れ出した気持ちは止まらないんですよ。
果南に対して、自分と向き合ってほしさが行き過ぎた故に手を上げてしまった不器用な鞠莉がこの詞を歌うからこその、意味。
キャラクターが歌詞を口にだすことに逐一意味を見いだせてしまうこの曲は、やはりこの9話の3年生の為に存在してると僕は言いたいです。
衣装が2年前から"今"へアップグレードされる演出、最強ですよね...。
2年前の花火大会の直前に止まってしまった3人の時間は本当の意味でここから再び動き出すんですよね。
本音ぶつけ合うとこから始めよう その時見える光があるはずさ
今回散々『向き合って話す』という単語を連呼してきましたが、敢えてこの歌詞で未熟DREAMERを締めくくったことには意図があるのではないかと勘ぐってしまいます。
ここのダイヤは何を思ってるんでしょうかね...?
未来を想像して笑っているのかなぁ...と個人的には思ってます。でも、ダイヤが想像した未来のAqoursにダイヤ自身は入っていないと感じるんですよね。
黒澤ダイヤというキャラクター、難しい...。
という感じです、少し長くなってしまいましたが書きたいこと全部書ききった感じありますね。満足。
それでは最後に一言...
以上です。ここまで読んで頂いた方には本当感謝致します。ありがとうございました!ではでは~
きうい