ギャン・バギャム・ソルドン

一打粉砕に怒喝の心力を込め、万物を叩き割る剛剣の刃を生み出さん

1/26 アイドルアニメ(少年ハリウッド)の話

世間一般でアイドルアニメと呼ばれるアニメの数は多かれど、「アイドル」という存在を真正面から描いている作品はとても少ないとよく思う。それは悪い事ではない。僕はラブライブが大好きだし、自己実現の結果としてステージがあるという作劇はアニメとして自然だ。アニメで描かれるアイドル像が現実にあるアイドルと如何にズレているかを論じる事に私は特段意味を感じない。お陰で私はラブライブを始めとした所謂アイドルアニメのキャラクターをアイドルとしては見れない訳だ。現実でキャストがキャラクターを内に宿す人としてステージに上がった時に、初めてコンテンツにアイドルという概念が導入される。

・・・

少年ハリウッドを久々に見返した。何度見ても不思議なアニメだと思うと同時に、ここまで「アイドル」という概念・職業の真に迫れたアニメは他に類を見ないとも思う。ラブライブがステージを「感情を爆発させる場所、自分自身で居られる場所」と定義するなら、少年ハリウッドはステージを「思ってる事も言えない場所、自分以外の何者かになる場所」と定義する。アイドルとは数多の人間から様々な理想を押し付けられる者だとこのアニメは主張してくる。5話や10話を始めとした少年ハリウッドが出演する舞台や番組、ライブをそのまま流す話は、少年ハリウッドである彼らが明らかに何者かを演じている姿を淡々と見せ続ける。見た人は分かると思うがかなり挑戦的な作りで、キャラクターの心の声など、アニメ的な演出が全く無い。本当に彼らが出演している音楽番組を見ているような不気味な30分だった。このように、アイドルはファンの理想の姿を常に演じ続けねばならないという思想が作品の根底にあり、主な作劇はステージの外に存在する人間としての少年ハリウッドが中心となるが、何故だかそれさえも虚構なのではと、実は私が見ているのは作られたドキュメンタリーなのではないかと疑いたくなる危うさを持った作品だと感じた。事実として、この作品の次回予告ではアニメの脚本が映されていた。

・・・

また、この作品で描かれるアイドル観は核心を突いている。特に唸ったのは第16話『本物の握手』だ。アイドルが日頃からしている何気ない一回の握手も、未来で少年ハリウッドが握手出来ないくらい大きな存在になると、何気なかった握手がその人の中で宝物になる。だから、アイドルはいつか宝物になるかもしれないその欠片をファンに配るし、欠片が本物の宝物になるように大きなステージを目指す。アイドルが何故握手をするのかに対するこの作品の解答はこれだ。正直、こんな解答はアイドルに対する理解がないと生まれないと思う。何気ない握手が宝物になった経験がある身としては、少年ハリウッドの主張していることには、果てしない説得力を感じざるを得ない。

・・・

やはり少年ハリウッドはアイドルアニメであった。ラブライブを始めとした歌い踊る作品が、私の中でアイドルアニメではなく青春学園ドラマにカテゴライズされる一方で、少年ハリウッドだけは比類ないアイドルアニメとして在り続ける。(少年ハリウッドみたいなアニメがあったら見たいので教えて下さい)