きういノート

一打粉砕に怒喝の心力を込め、万物を叩き割る剛剣の刃を生み出さん

僕とAqoursと時々10

ここ最近TLでWBNWの10!について色々と語られている、と言ってもいつまでもぐちぐちとあーでもないこーでもないと考えているのは自分だけかもしれないけど。

この10!に関すること、結局自分たちの取れる行動としては 言う or 言わない の2通りしかないけど、この議論の背景には個々のサンシャインの物語の解釈の違いだけでなく、Aqoursとその人の距離感、10人目のAqoursという外延のハッキリしない言葉の捉え方の違い等があるのではないだろうか。いやうん、多分ね。

 自分はあの瞬間10!を言うって選択肢が頭の中のどこにもなくて驚いたのだが、人の考えを見て思うところがあったので自分なりに考えてみる。無意識のうちに10!を言わなかった自分が取った行動の後ろにあった理由を探ることにする。文が散らかることが目に見えてるのでQ&Aで書こうと思う。

 

Q. 何故あそこで10と言わないのか?

A. あの歩道橋のシーンは9人だけのもので、物語の観測者としてでしか見ることの出来ない景色だ。そこに自分が易易と立ち入ってはいけない雰囲気を感じ取ったから。

 

 ここまではただのアニメの話である。だがライブは現実で、ラブライブのライブは所謂2.5次元ライブと呼ばれている。ここからは3次元のAqoursも織り交ぜて色々と考えてみる。

 

Q. 何故立ち入ってはいけないと思ったか?

A. 怖いからだ。Aqoursのキャストは物凄い存在だ。顔も可愛けりゃ歌にダンス、芝居もこなす、立ち振る舞う姿の気品や、役者としての考え方、何から何まで尊敬せざるを得ない。そんな凄い存在だからこそ物語には説得力が生まれる。だが、Aqoursは凄すぎる。10人目のAqoursとして名を名乗る事の重さを、この身をもって、肌で体感してしまうのがライブという空間だ。仮にAqoursがそれを許してくれたとしても、自分が納得出来ない。

 

Q.じゃあAqoursは遠い存在なのか?

A. そういう事になる。だが、Aqoursは自分達の近くまで来てくれる事が度々ある。Landing action Year!!や太陽を追いかけろ!がその最たる例だ。曲の雰囲気は明るいし、何よりも『会いに来たよ!』『おいで!』『着いて来い!』ってメッセージが曲、歌詞からひしひしと伝わってくる。この時だけ僕は自分の存在を棚に上げて、怖さも何も感じずに安心して10人目のAqoursとして居れるんだと思う。自分勝手な10!である。

6/25 追記。

謎解きに行った時の事を思い出した。多分殆どの人が掛け声の場面で10!と実際に、また心の中で叫んだのではないだろうか。僕もその一人である。恐らく、僕が今まで最も胸を張って10!と言えたのがあの瞬間だったと思う。

何故、胸を張って10!と言えるのか?それは助っ人としてAqoursと共に同じ時間を過ごしたからだ。問題を解くに連れて『自分はここに居ていいんだ、Aqoursの隣りに居ても良い存在なんだ。』って自分の居る意味を見出す事が出来る。これがもうめちゃくちゃ大きい。

Aqoursが9人であるという認識は多分、僕の中で簡単に変わる事は無いんだと思う。けど、あの時、トランクを10人で探したあの時間だけは、自分が円陣の中に入る権利を得たような気がしたんだ。

Aqoursと同じ目的を追いかけるか、違う目的を追いかけるか。10!を言うか言わないかの境目には、そんな感覚が潜んでいるのかもしれない。

 

Q.Aqoursの物語は遠いのか?

A.近いのかは正直よく分からない。1期の時は憧れを追い続ける高海千歌に自分を重ねたりもしたが、自分だけの輝きに気付いた後の物語を見るうちに自然と自分とキャラクターを重ねる事はしなくなった。10!と言わない理由の1つに物語の観測者である事を意識していると書いたので、恐らくAqoursの物語には傍観的な立場にあると思う。飽くまでもそれはAqoursの物語であって僕の物語ではない。ただ、一つだけ確実に言えるのが、Aqoursの物語は自分の中で生きてるという事だけだ。Aqoursの物語に感化され、前を向く元気や勇気を貰った事実だけは、この胸にある。これが近いのか遠いのかは、判断がしにくい。

 

もう少し踏み込んでみる。

 

Q. Aqoursは9人?9人じゃない?

A.これに関してはハッキリと自分は9人であると言ってしまう。

あの9人が作る輪の中に僕が入り込める余地は1mmもなくて、でもそれが何故かとても愛おしくて。

3rdライブ。 - きういノート 

 MIRACLE WAVEを見て感じたことだ。ラブライブは感情に嘘を付かないアニメだから、僕がこの感情に嘘を付く訳にはいかない。お互いを見ながら、一所懸命に歩んできた時間が円陣から感じられた。9人だけの間に流れている感情や空気、時間がとてつもなく尊く感じられたのは紛れもない事実だ。彼女達が過ごしてきた時間の中に僕は一切存在しない、それでも良い。いや、だからこそ良い。この景色を見れる事が既に奇跡であり、僕は心の底から満足しているのだから。MIRACLE WAVEを見た後では、恐らく僕は口が裂けても10!とは言えないのだろう。

 

書いてて思ったけど、これが1番の理由になっていたのかもしれない。

 

Q.じゃあ10人目のAqoursってなんだろう? 

A. "10人目のAqours"はAqoursの9人とは切り離された、同じようで違う概念だと思う。アニメは画面を通してでしか見ることが出来ず、ライブはお金を払って"客"として観劇する事しか出来ない。冷めてるようだけど結局、本当の意味で僕とAqoursが1つになる事は不可能だ。9人と10人目との境には、見えないようで深い深い溝がある事をどうしても忘れられない。だから僕は"10人目のAqours"が『ファンのみんな』のような、ふわっとした、ある意味では軽い言葉だと感じるのかもしれない。(軽いという表現は誤解を招くかもしれませんが、一人一人がAqoursである事に自覚を持って日々夢を追いかけながら過ごす、って在り方を"10人目のAqours"と称するなら、それはとてつもなく重い意味のように感じます。)

 

なんか書いたらスッキリしました。自分がAqoursに対してどんな距離感で接しているのかが分かった気がします。でゎ。