ギャン・バギャム・ソルドン

一打粉砕に怒喝の心力を込め、万物を叩き割る剛剣の刃を生み出さん

ダンガンロンパ2までクリアした。

ダンガンロンパV3をやる前に2までの感想を軽く書き留めておきたく。

 

ダンガンロンパ1

順当に良い謎解きゲームだったなという感想があります。私は逆転裁判が好きなので、現場の証拠品と発言の矛盾を突いていくこのゲームも十分楽しめました。超高校級の絶望の正体に迫る終盤はサプライズとフックに溢れていて、久々に「こういうゲームってやっぱり楽しいよな…」という気持ちになりました(ネタバレアンチアンチアンチ)。ただこれは、物語が平然と進むアニメではなく、プレイヤーに考えさせてサプライズ・フックの内容を自身に突き止めさせるゲームだからこそ出来た芸当と言えるでしょう。

一方でキャラクターゲームとしてはまだ未熟だなと感じることもありました。十神くんがゲームから降りるシーン等良いシーンもありますが、モノクマが動機を用意して殺人を煽っているとは言えど、最終的には自分の意思と欲求で人を殺しているので余り同情する余地がなく「まぁ、処刑されるのも仕方ないわな…」みたいな気持ちになっていました。物語の中で愛着の湧くキャラクターが十神、霧切、朝比奈、後はギリ舞園さんと不二咲さんしか居なかったのは明確に惜しかったところだなと思いました。まぁ5人もいれば十分かもしれませんが…。

 

ダンガンロンパ2

ダンロン1の雑感が結構良いゲームだったとするならば、ダンガンロンパ2のそれは今まで自分がやったゲームの中でも10本指に入るくらいのゲームだったと言えます。一回りも二回りも面白くなった続編という感想です。その面白さの要因の一つは、上で語ったようなダンロン1の惜しかったところが見違えるように改善されていたからです。

ダンロン2と1のキャラクターゲームとしての出来を左右した要素は殺人時のキャラの動機にあると思います。最初の花村はナイフを取った狛枝を止める為、辺古山は九頭龍の身代わりになる為、罪木は恐らく絶望病にかかって、田中は餓死で全滅する未来を回避する為、最終的に人を殺していることに変わりはありませんが、殺人の動機の裏には誰かを想う気持ちやどうしようもなさがあり、そこに同情の余地が生まれて処刑時には後味の悪さが残ります。特に罪木の時は悲しくて仕方なかったです。ですが、そこで感じるやるせなさや割り切れなさは、1には無かった要素であり、自分の目にキャラクターが魅力的に映っていたことの証左なのだと思います。

1の終盤と同じように2の終盤もサプライズとフックの応酬で、過去作のキャラが再登場するシーンは流石に痺れました。ただ今作には1には無いサプライズやフックだけには頼らない魅力も持ち合わせていました。西園寺や九頭龍が皆との触れ合いの中で変わろうとしたこと、七海千秋を信じて生き残っていくこと、皆と過ごした記憶もこの世界も終わらせる決断をすること、恐らく私は何回やっても同じところで感動するはずです。

時にゲームというのは物語を摂取する為の作業であることが多く、そういうゲームをしては途中で投げたり、う〜んという感想と共にクリアしてきました。ダンガンロンパの全てがそういう退屈さを抱えていなかったと言われれば嘘になりますが、少なくとも1,2共に終盤のやり取りはゲームの中での操作とストーリーがバッチリ噛み合って最高のゲーム体験になっていまし。「希望」のコトダマで皆の沈黙を打ち破っていくしかり、「未来」の言刃でトドメを刺すしかり、序盤からずっとやっていたゲームという作業に物語的な意味が付与された瞬間、ゲームへの没入度が段違いに上がります。これが出来るゲームは間違いなく良いゲームです。

 

プレイ時間も無意味に長くなく大満足の一作でした、という訳でV3やります。